魔弾の射手(二期会 7月22日)

ザーミエルの大和悠河(元宝塚宙組)の勝利。手塚治虫が『ネオ・ファウスト』でメフィストフェレスを女性にしたのと同様、天才的な発想。最初の登場は黒いレースの下着で、マックスの銃の銃身をなめ回す。その妖しいこと。男役のビシッと決まった身のこなし。しかし胸は膨らんでいる。両性具有という宝塚の不思議が、舞台で生きた。
1.1幕でのマックスいじめがよく出来ていた。ほとんど村八分寸前。これでアガーテをゲットできなかったら、もうオレなんか死んだ方がましだ、という状態。日本で毎年数件は起きる無差別殺傷事件の犯人はたいてい、目立たない、おとなしい、不器用な青少年。町でナンパなんかできないから、あのように追い詰められる。(どのような対策が講じられているのだろう? もちろん警察の問題ではない。)カスパールは傭兵崩れのよそ者でアガーテに振られたからザーミエルに魂を売ったけれども、死んだ方がましだ、という点ではマックスと紙一重。どこかしら純情そうな加藤宏隆のカスパールは、可哀想だった。せっかく魂を売ったのに何ひとついいことはなかった。
2.ただ一度、10年ほど前にオペラ・ゼミで『魔弾の射手』をとりあげた。20名ほどの学生は途中から机に突っ伏して寝てしまった。正直なものだ。学生は『椿姫』2幕後半、ヴィオレッタがアルフレードから札束を投げつけられて嘆く場面では鼻水をすすりながら見るし、『こうもり』一幕後半の嘘泣きの三重唱は笑いながら見る。よいものはよい。つまらないものはつまらない。台本のキントはもう少し工夫できなかったのか。たとえばアガーテは受身なばかり。何らかの関与はできなかったか。とはいえ当時としては精一杯の斬新なオペラだったらしいから、200年後にないものねだりをしても仕様がない。つまらないところ(右隣の女性二人は1幕の中盤ではぐっすり眠っていた)は大胆にカットしたほうがよいのでは。
3.カール・マリア・フォン・ヴェーバーの問題。200年前の天才。(失礼ながら)今からみると毛が三本足りない。「舞踏への勧誘」「常動曲」は弾いたことがある。なかなかエレガントで気の利いたところもあるし、まとまりもよい、けれども。「舞踏への勧誘」(1819年)はウィンナ・ワルツの祖と呼ばれるとか。ショパンは10年後の1829年にウィーンでデビュー。そこで聴いたウィンナ・ワルツを踏まえて(反撥も含めて)1831年に「華麗なる大円舞曲」(Op. 18)を作曲した。その差は歴然。ほんの10年ほどでピアノ曲が洗練されてゆく様は驚くほど。(シューマンが「ショパンのワルツを踊る相手の半分は伯爵夫人でなければならない」と言ったそうだが、ヴェーバーの場合は平民でも大丈夫。)アガーテとエンヒェンがマックスを待つ場面は、蝶々さんとスズキが花を撒く場面の二重唱のようになる可能性もあるだろうに、と今は思う。オトカル侯爵がマックスに「この地を立ち去れ」と言う場面は、タンホイザーが ewig verdammt! と宣告されるときのようにティンパニーを鳴らすこともできるだろうに、と今は思う。今そう思えること自体が、おそらくヴェーバーの贈り物なのだろう。偉大な開拓者。だからといって、偉大な開拓者の間延びした作品を、お金を払って我慢して聴く必要は(お客としては)ない。
4.素敵な場面はたくさんある。とりわけ「狼谷」。私は1985年頃ドイツ文化センターで映画版の『魔弾の射手』を見た。滅法面白かった。とりわけ「狼谷」。異界だ。この狼谷は牽強付会だけれども東洋の山水画と通ずるところがある。植物の生えた崖から滝が落ちている山峡は、私見ながら女性の陰部の象徴である。こういう山水画が禅寺に飾ってあるのは哀れでもあり、面白くもある。
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ここで7つの魔弾を鋳造する。1つごとに音楽も背景も変わる。ここは演出家のワクワクするところ。『サロメ』の7つのヴェールの踊りも7つの趣向を凝らすのだが、今回のように背景から電飾から、リヒャルト・シュトラウスの趣向に合わせて変化させないと、ただのデブが服を脱ぐだけのつまらないものになってしまう。
手塚治虫は『ホフマン物語』の演出をやってみたい、と言っていた。こういう「お化け」ものは水木しげるとか楳図かずお先生にやってもらっても面白いかも。とはいえ水木、楳図、両先生ともオペラに関心はなさそう。やっぱり手塚治虫は群小漫画家(失礼)から頭抜けていたと思う。
5.あれこれデコボコのある『魔弾の射手』。聴衆を眠らせないためには。やはりビジュアルか。大和悠河はOK. アガーテの北村さおりは(もちろん健闘していたけれども)、アルマヴィーバ伯爵夫人とか(やっぱり)元帥夫人が嵌まるのでは。広瀬すずみたいな真っさらが、七発目で倒れたら観客はハッとするかも。小鉄和広の隠者は(?)でした。健闘していましたが。途中までケンタッキーフライドチキンのオジサンかと思っていた。隠者Eremitはセックス・システムから離れた存在だからこそ、Deus ex machina をやれるはず。ヘテロな性による生命再生産、という神の設定した呪いをコンビチュニーはこれでもか、というほどに強調している。そのシステムから離脱した隠者Eremitだからこそ、とりなしができる、という設定。申し訳ないけれども、背広にネクタイではなくて、もうちょっと世捨て人らしい格好をしてほしかった。(あるいはコンビチュニーは、世捨て人なんかあり得ない、と言いたいのかも。)
6.最後の場面でマックスは、赤いワンピースの女性といちゃいちゃしていた。アガーテではない。オトカルの娘? 一年間の猶予期間でマックスはどうなるか分からない。アガーテに対する永遠の愛はあるのかどうか。コンビチュニーはそんなことも言いたいのかも。