救済幻想の快感(二期会・パルツィファル)

ヴァーグナーは「永劫の呪いからの解放」が好きらしい。オランダ人がそうだった。「魔性の女」も好きらしい。オルトルート(ローエングリン)がそうだった。『パルツィファル』のクンドリは、その両方の属性を帯びている。事前に予習したBlu-ray (バイロイト1998年)ではリンダ・ワトソンがクンドリ。今にも取って食われそう。キリストを嘲笑して呪われたというのだから、ざっと2000年ほど生きている怪物らしかった。二期会最終日(7月17日)に登場したクンドリ(橋爪ゆか)は、アレレという感じ。ただの小娘ではないか。ところが二幕後半、パルツィファルに接吻する段になると、朗々と歌い出した。鏡張りの小部屋に白い寝椅子、花の乙女の衣装を纏うと、立派な魔性の女に変身。この変化の方がよっぽど恐ろしい。
ニーチェはヴァーグナーを笑いのめしていた。「ローエングリンが、パルツィファルの息子だというのだ!」とか。(聖堂の騎士が結婚するはずがない。)それを真に受けてボクは2012年の二期会公演『パルツィファル』のチケットを学生にやってしまった。でもこのごろ「まてよ」と思うようになった。ヴァーグナーは巨大な社会現象でもあり、作品内容はベートーヴェンとかショパンとかとは桁が違う。とにかくヴァーグナーが何をやりたかったのか、付き合ってみようと、今回の観劇になった。(さらに。某カトリック系大学のドイツ人教授(神父)が日本人妻をもっていたことを最近知った。馬鹿正直に誓約に縛られることのない人間もいる。そもそもティトゥレル王の「息子」がアンフォルタスなのだ――ヴァーグナー内部の話だが。)
無限旋律とは、オルガスムスをずっと先送りする企みだよ」と中田美喜氏(慶応大学)が言っていた。もうすぐ絶頂、あ、でも方向が変わった、もうすぐ絶頂・・・という繰り返し。もう、この曲がりくねったジェットコースターに身を委ねるほかはない。この螺旋軌道に何度も出てくるのが、ドレスデン・アーメン。

このヴァリエーションが何度も出てくる。作曲者はナウマン。19世紀初頭のザクセン州で急速に広まったという。
クナッパーツブッシュの「鐘の音」。プログラムの45頁に東条碩夫氏が書いている。「リハーサル中に若杉氏が「鐘の音」にクナッパーツブッシュ指揮のLPレコードの音を使いたいと言い出し(・・・)」。これには思い当たる節がある。内垣啓一氏(東大駒場の不良ドイツ語教師)、つまり1967年に二期会がパルツィファルの日本初演をやったときの演出家が、1982年頃(ウロ覚え)バイロイトでボクにこう語った。「クナッパーツブッシュの鐘の音は、夜に寝ようとしても、頭の中でずっと鳴り響いているんだ」。

単なる推測だが、若杉弘は内垣啓一氏からその話を聞いて、LPレコードの音を再現しようと思ったのではないか。予習のBlu-rayではティンパニがこの4音を叩いていた。今回は、シンセサイザーの音が入っていたように思う。
金太郎万歳!! パルツィファル役はむずかしい。強くて単純で高貴、という歌手でなければならない。(むかしJerusalemという歌手がやっていたが、内垣啓一氏いわく、「ほんとに馬鹿みたい」)伊達達人君は、この「強くて単純で高貴」という条件をぴったり満たしている。bravo! ドイツ語の発音も正確。

宮本亜門演出。旧套墨守の日本のオペラを脱する、果敢な試みに拍手。聖杯城の騎士達がInvalideたち、というのも面白い。半分はゾンビで、ヴァルハラ城の趣もあるけれども。十字軍騎士も混じっているので、西欧のキリスト教世界の管見で世界救済を目論むことの愚かさも示唆している、らしい。
救済は結局あり得ない、というか、あってはならない。救済がないからこそ、人間はあれこれ模索することができる。『天国と地獄』の天国のように、何もすることがなくなったら、何とつまらないことか。救済幻想は、神様が人類にくれた呪いでもあり、惠みでもある。(図版は二期会ホームページから。)

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