少年ショパンが本当に住んでいた部屋

ショパンが住んでいた部屋をお見せしましょうか?」と、ワルシャワ大学研究棟(?たぶん)入口で、研究者らしいお姉さんが言った。え? 三階の端っこじゃないの? と、とにかくついて行った。
時は2010年8月、ショパン生誕200年祭である。5年に一度の IVG (Internationale Vereinigung für Germanistik 国際ゲルマニスト協会) 総会がワルシャワで開催された。これは千載一遇の好機。論文をでっち上げて応募し、発表OKとなったので、学術国際会議講演という立派な名目で海外出張。シェラトン・ホテルに投宿して、たっぷりショパン三昧の旅を味わった。

ワルシャワ大学の右側の建物の側面と背面には、記念銘板とレリーフがある。だから、あの辺にショパン一家が住んでいたのだろうな、と普通は思ってしまう。だが、それは観光客向けの紛いものだった。実際にショパン一家が住んでいたのは、三階の中央部、昼なお暗い、廊下を挟んだ、それほど広くない数部屋だった。今は標本のケースが壁面に並んでいて、中央には機器が聳えている。寄せ木細工の床を見ると、以前は住居ないし城館(Palace)だったらしいと思える程度。

ここにショパンは7歳から17歳まで、ほぼ10年間住んでいた。17歳のときに、妹エミリアが肺結核で死んだ。(いかにも肺結核になりそうな、暗い部屋だ。)ショパン家の二人目の神童(一人目は言うまでもない)と言われた、詩作の才能を示したエミリアの死をきっかけに、一家はワルシャワ大学の通りを挟んで向かい側の家に引っ越す。ここは今サロン・ド・ショパンとして公開されている。
この暗くて狭い部屋に、少年ショパンは10年住んでいた。なるほど、シャファルニャとか、田舎の空気のよいところに転地療法に出されたわけだ。このカジミエルシ宮は、当時事実上ワルシャワ高等学校の教員宿舎だった。1816年創立のワルシャワ大学の教授たちも入居してきたという。父ニコワイ・ショパンが高等学校のフランス語・フランス文学の教員となり、一家がコルベルクほか教授たちと交流できたのも、ぎりぎりの恵まれたタイミングのお蔭だったらしい。

ニコワイの助手的な立場で家庭教師として採用された、バルチンスキは、十数年後にショパンの妹イザベラの夫となる。まあ、おそらくこの部屋で告白したりすることはなかっただろう。(以上は『ショパン全書簡集』岩波書店、『決定版・ショパンの生涯』音楽之友社参照のこと。)
「ショパンの本当の住居」は、いまは簡単に見せてもらえないかもしれない。あの時は生誕200年祭の国際学会だったので。決して、無理に訪問しようとしないよう、お願いします。(それゆえ、この写真をアップします。)

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