カジノ法案に反対するのは誰のため?
今回は珍しいことに、与党に基本的に賛成。野党はカジノ依存症を心配しているらしい。これは「カジノ・カード」を金融機関が発行すれば済むことだ。つまり資産が一億円以上あるとか、年収が二千万円以上あるとかいう人だけカジノに入場できるようにすればよい(外国人はノーチェックでよろしい。カモなのだから)。もっか提案されている入場料が6000円とかいうのは笑止千万だし、何の歯止めにもならない。カジノというのは貧乏人が一攫千金を目指す場所ではない。オペラ『椿姫』の二幕では、パリのパーティーで主人公アルフレードがトランプで勝つ場面がある。社交界のアトラクションのひとつである。オペレッタ『こうもり』の二幕では、オルロフスキー侯爵から財布をまるごと預かったアデーレとイーダが、賭けで擦ってしまう場面がある。それを報告されたオルロフスキー侯爵は、まるで意に介さない。屁でもないのだ。こういう人たちが遊ぶのがカジノなのだ。ちなみに私は一度も入ったことはない。
正直に言うとカジノだけを日本に作ってもあまり意味はない。ウィーンのように国際連合とOPEC(国際石油輸出機構)とセットで設営しないと、たいした儲けは見込めない。私はウィーンのオペラ座のまえの歩道で、コバルトブルーの背広上下をざっくり着こなした、褐色の大男を見たことがある。次は何をしようか、と目は輝き、巨大な黒豹のような男だった。アラブには「王子」が二万人ほどいるという。(詳しいことはしらないが)この世には金を使って遊ぶために生まれたような人びとが数万人、いや数十万人いるらしい。そういう人たちから金を巻き上げるためにカジノはある。そういう人びとは一日で百万円とか一億円とか擦っても、たいして堪(こた)えない、らしいのだ。
なぜか日本にもやや似たような人びとがいる。毎日ベンツでパチンコ屋に通い、夕食は刺身の豪華盛りで焼酎を飲んだりしている。あれこれ憶測はできるがここには書かない。とにかくそういう「下等遊民」(漱石のいう高等遊民の逆です)はカジノ・カードをゲットして、ぜひカジノで鴨になっていただきたい。収入はきっと日本の福祉対策に使われるのだろうから。(それとも? あとは書きたくない。)
えーと、もう少しカジノについて書きたい。オレは20年ほど前にウィーンのオペラ座舞踏会(Opernball)に紛れこんだことがある。若いデビュタントたちが社交界にデビューする大事な行事だ。宴たけなわの頃に歩き回っていたら、オレンジ色のたすきを斜めにかけた男たちがグリーンのフェルトのテーブルに坐って、ルーレットをしていた。つまりオーストリア国の大臣たちである。こういう人たちがちょいとプレイするのがカジノであるらしい。
さて日本では。地下鉄丸ノ内線では後楽園の場外馬券売り場に向かうきったないオヤジどもが、競馬新聞に赤鉛筆でチェックしながら周囲の顰蹙を買っている。申し訳ないけれども、こういうオヤジさんたちはカジノ・カードをゲットできないでしょう。ゲットできなければ、依存症のために一家心中になったりしないでしょう。