生活保護を受給するのは国民の権利だ。

「生活のために売春婦になる人は、オーストリアにはいないはずです!」と某女子学生がきっぱりと言った。つまり、そこまで貧窮した人は、国家から援助してもらう権利がある、――というか、そもそもそういう人たちも含めて、われわれが国家を運営しているのだから、われわれの一人が困ったら、援助を受けて当然、というセンスである。給付金は、明治天皇が出しているのでもない、浪人して北大法学部に合格できなかったので学者や学術会議を目の敵にしている某首相が出しているわけでもない、国民が納付している税金から出るものだから、困ったときには請求してよいのだ。
その昔、国費留学生としてオーストリアはK市のモーツァルト・ハイムに寄宿していたころ。廊下で学生たちと雑談していたとき、上記の発言を聞いて驚いた。言われてみればその通りだ。
日本人の生活感覚としては、零落したのは自分の責任。いよいよとなったら自殺するか、闇の世界でシノギを営むか・・・となるのが普通ではなかろうか。しかし実際のところ零落したのは歴史的・社会的条件の結果であって、そういう自分を、自分の仲間である国民が助けるのが当然、というスタンスが、もっとあってよい。滅私奉公ではなく、「奉私奉公」が国家経済の原本であるはずだ。