エッセイ、翻訳など
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  1. ゲシュタポの忘れ物? ――シュタイア実科学校のヒトラー成績原簿の湮滅
    (『中央評論』292号 2015年7月)


  2. オーバーエスターライヒ新聞に、シュタイア来訪の記事が掲載される。

  3. 「ウィーンのボヘミアン用ワンルーム」
    (『中央評論』284号 2013年7月)


  4. 「今日は志ん朝 明日はショパン」--佐藤俊一郎氏遺稿集について
    (『Chuo Online』2013年2月)


  5. 「ジャズと連句」(『白塔』13号,2008年10月)
     白塔歌仙会の機関誌に掲載されたもの.

  6. 「筆記体の練習をした」(『草のみどり』208号,2007年8月)

  7. 「従僕の意趣返し」(『中央評論』256号,2006年7月)
     モーツァルト『皇帝ティトの慈悲』作曲の真相に迫る推論.コンヴィチュニー演出の二期会公演『皇帝ティトの慈悲』のためプログラムの翻訳をしているうちに想を得た.

  8. ベッティーナ・バルツ「ドラマトゥルクって何ですか?」(翻訳)
    (二期会『皇帝ティトの慈悲』公演プログラム,2006年4月)

     日本では「学芸員」と訳されるが,実際の日本の学芸員は何でも屋,雑用係も兼ねていて,ドイツのドラマトゥルクとは,いくぶん仕事の中味や地位がちがっているらしい.そもそもドイツ語圏にはTheaterwissenschaft「演劇学」という学科(ときには学部)があり,その卒業生の一部は各都市のオペラ劇場,州立や市立の劇場にドラマトゥルクとして就職する.彼等が公演プログラムも作成する.音楽評論家のエッセイや解説,往々にしてあとはこぼれ話などの寄せ集め,という日本のプログラム(しかも高額)とは違っていてあたりまえ.
     このエッセイはもともと,早坂が「レッシングがドラマトゥルクをしていたハンブルク劇場の仕事に関われるのは光栄です」とメールに書いたところ,二期会の山上典彦氏が思い立って,ハンブルク劇場のドラマトゥルク,ベッティーナ・バルツ女史に原稿を依頼したもの.翻訳に際しては,後輩の満留伸一郎君に手伝ってもらった.


  9. オスカル・ビー『カルメン』(翻訳)
     名曲オペラブックス(音楽之友社)に部分訳がある.僭越ながら訳し直した.ドイツ語の美学論文を理解して日本語に移すのは,そう誰にでもできるものではない.「ドイツ語なんて,辞書の訳語を並べていけば,誰でも訳せる」という程度の「見識」を,一般人も出版社も,ひどい場合には大学も持っているのが問題.
     ビゼという,一回限りの,不可思議な現象を思い入れたっぷりに表現している.その強引な筆致が魅力.とはいえ,実際の台本はよく出来ており,歌詞も立派なものである.ビーのビゼへの惚れ込みようが病的に見えてくる.なお関連事項については,畏友写原祐二氏に教示を仰いだ.


  10. 「モンローと乃木大将」(『白塔』11号,2004年10月)
     白塔歌仙会の機関誌に掲載されたもの.

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