ローベルト・ムージル研究
ムージルの肖像
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a. ムージル17歳。メーリッシュ・ヴァイスキルヒェン(現チェコのフラニーチェ)の陸軍上級実科学校の生徒。優等生の徴の二重衿線を帯びている。 b. ムージル20歳ごろ。ブリュンのドイツ工科大学(学長は父アルフレート・ムージル)の学生。エンジニアの国家資格を取り、フェンシング、水泳、テニス、体操などスポーツに打ちこみ、さらに地元の新聞に小品(フェユトン)を寄稿する「ダンディ」だった。
       
c. ムージル30歳ごろ。ベルリン大学で哲学博士号を取得。グラーツ大、ミュンヒェン工科大からの招聘を断り、『合一』執筆にとり組む。 d. ムージル37歳ごろ。陸軍大尉。第一次世界大戦では南チロルに副官として従軍。のちボーツェン(ボルツァーノ)で『兵隊新聞』編集長。ブロンズ軍事功労賞メダル、フランツ・ヨーゼフ騎士十字勲章、カール皇帝軍十字勲章。
       
e. ムージル51歳。『特性のない男』第1巻を刊行。 f. ムージル60歳ごろ。亡命先のジュネーヴにて『特性のない男』第2巻の続編を書き続けた。死の一年前。

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