「手の大きさに見合ったピアノは弾いていて痛くない」
「一番印象に残ったのは、手の大きさに見合ったピアノは弾いていて痛くないのだと云うことでした」。これは15/16サイズ(ブラザー)および7/8サイズ・キーボード(Steinbuhler-Walter社)を試弾したヒロ・Kさん(女性)のコメントです。つまり彼女はいつも、痛みをこらえながらピアノを弾いていたのです。
ボク Kurze Finger が前々から募集していた、細幅鍵盤の試弾第一号は、上信越から新幹線に乗って東京の西端までやってきました。ぎりぎり二時間足らずの試弾でした。初めて弾くひとは違和感が強いので、まずブラザー、それからDS5.5のピアノを、休憩を取りながら弾いて少しずつ慣れるように、とボクはアドヴァイスしたけれども、ヒロ・Kさんは、ほぼ継続的に、持参したさまざまな曲を試弾していました。
彼女のスパン(1~5指)は17,5㎝。決して大きい方ではないけれども、オクターブ(16,5㎜)は届く。しかし問題はスパン(1~5指)ではなかった。
1.問題はオクターブ内部の、2,3,4指の自由度だった。
「痛くて弾きづらいベートーヴェン『悲愴』の二楽章が、弾けます」とヒロ・Kさんが言った。
ここは5指で高音部をキープしながら、2,3,4指で別の音を弾くところ。
これらの中間の指が自由に独立していないと、なかなか楽譜通りにはキーを押さえられない。
そういえば、以前「ゆるい春子」さんが、シューベルトの即興曲2番の中間部が弾けないのでこの曲じたいのレッスンをあきらめた、と書いていた。
この曲の場合も同様に、5指を押さえ続けながら1,2,3,4指で別の音を打鍵する、それが困難であるために、シューベルトの即興曲2番を断念するひとがいたわけです。
2.9度、10度の問題だけではなかった。
これまでボク Kurze Finger は、スパン(1~5指)の問題としてしか捉えていなかった。それももちろんあるけれども、どうやら遙かに切実に、オクターブ内部の2,3,4指の自由度が問題であるらしいことが分かった。もちろん細幅鍵盤によって、この問題は氷解する。
ここでは自制して表現を和らげるが、ボクの腸(はらわた)は煮えくりかえっている。やれ教養だ、情操教育だと、「需要を創出」するために(「日本のピアノ100年」286頁)Y音楽教室、K音楽教室などが子供たちに音楽愛好精神を植え付けたけれども、いざ実際にその愛する名曲を演奏しようとすると、痛くて指が届きにくい、そういう楽器だけを供給してよいのだろうか。メーカーの良心に問いたい。
付記。
なおヒロ・Kさんが特に「きつい」と感じるのは『悲愴』の二楽章の9小節目、5の指で上のドを押しながら2の指で Es を打つとき。また、11小節の B は9度離れているので「タイミングをずらして飛んで弾きます」とのこと。