謎のワルツ(Chopin Op. 42)

弾けば弾くほど、調べれば調べるほど、謎が深まるのが、ショパン・ワルツ5番(Op. 42)だ。右手の小指がメロディー・ラインを奏でるのは4回。1回目、2回目、4回目には異なったコードが充てられている。(3回目のコードは1回目と同じ。ただし左手はより多くの音を押さえている。)とりあえず、コード分析をしてみた。(GVIDOの画面に書き込んだもの。)

1.ポリリズム&ポリハーモニー(?)
ポリリズム(polyrhythm)であることは一目瞭然。左手が三拍子で右手が二拍子。最小公倍数である8分の6拍子が、それを可能にしている。弾いていて困るのは、コードから逸脱する音、つまり一般的には不協和音と見なされる音が、頻出していることだ。

譜例1小節目のdes2とf1は、A♭とは調和しない。しかし2小節目のE♭7とは調和する(f1を9thとみる)。2小節目のc2は、E♭7と調和しないが、前小節のA♭とは調和する。es1はE♭7と調和すると同時に、前小節のA♭とも調和する。
えーと、つまり、右手は1小節目の後半で、2小節目前半の和声(E♭7)を先取りしており、2小節目の前半では、1小節目の和声(A♭)を追憶している、のではないかと思うのだ。(ジャズの基本、advanceとdelayだ。)
譜例3小節目のb1とes1は、Edim.と調和しない。しかし前小節のE♭7と調和する。この3小節目後半のc2とes1は、やはりEdim.と調和しない。しかし次の小節のFmとは調和する。
譜例4小節目のb1とdes1は、Fmと調和しない。しかし前小節のEdim.とは調和する。
――このように、各小節のコードから逸脱しつつも、先取り(予兆)と追憶という形で、独特の秩序を形成しているのではないか。さらに先を見てみると。

譜例5~8小節では、ほとんどの音がコードに調和している。唯一g1をどう整理するか、迷うのだが、単なる経過音とするか、あるいはコードをDdim.としないで、G7onVと見ることで説明できるかもしれない。

譜例9小節目の逸脱音des2と、f1(逸脱音ではない)は、次の小節のGm7-5に調和する。そして10小節目のc2とf1は、前小節のFm7と調和する。12小節目のb1は、前小節のC7と調和する。
――もう、この辺で充分だろう。ワルツ5番前半の不協和音は、不協和音でなく、予兆と追憶の微妙な構成による。テンポはpresto。一拍程度のズレは物の数ではない。ゼフィルスのような、ルリタテハのような、きらびやかな蝶が渦を成して翔び交う。彦摩呂であれば「和音の宝石箱やー!」と叫ぶであろう。和音の神様、ショパンが、さして悩みもせずに一音、一音、さらりと記譜したのであろう。
2.不思議なフレーズ
このワルツ5番(Op. 42)が、ほぼ神品であることは分かるけれども。下田幸二氏は『ショパン全曲解説』のなかで、「曲に流れる高貴さ、楽しげな一種のポリリズムの冒頭テーマ、コーダの華麗さなど、曲想にすきはない。」と書いている。そうかも知れないが、ボクには少々気になる部分がある。90小節目からのフレーズ。

ショパン様には申し訳ないけれども、これって「馬から落ちて落馬した」みたいな感じ、しませんこと? ほぼ50年前から途切れ途切れにショパンをいたずら弾きしてきたポンコツには、次に来る和音、次のメロディーなど、分かってしまうこともタマにはあります。それゆえ、これには違和感があります。(去年から練習していて、このあたりの16小節は、何度弾いても身につかなかった。)ここでは4回、走り高跳びの助走のように「馬から落ちて」が繰り返される。
――なぜ、このような次第になったのか? おそらく「華麗なコーダ」のためだ。ド派手なフィナーレでは、「馬から落ちて」が主要なテーマになっている。それはいいとして、ショパンは曲の中間部に、コーダの下塗りとして「馬から落ちて」を書き込まねばならなかった。ショパンではすべてが回帰するので。(一番いいのは、手書き草稿を見ること。ショパンがあとから「馬から落ちて」を割り込んで加筆していたのかどうか、分かるはず。しかしエキエル版の付録によれば、草稿は保存されていない。)
3.十年間ヌカ漬け?
この曲の作曲時期は、1840年(下田幸二氏)、ほかの解説書でも1840年となっている。ところが、わずかながらこの曲が1830年に作曲されていた可能性がある。1830年5月15日(今日だ!)ショパンが親友ティトゥスに書いた手紙の末尾にこうある。「君にはワルツの新作も――ちょっとした余興として――送るはずだったが、これは来週のお楽しみにしよう」(岩波『ショパン全書簡、ポーランド時代』358頁)。注35には「どのワルツを指しているかの特定は難しい。《ワルツ 変イ長調》、《ワルツ ホ短調》、《ワルツ ホ長調》のいずれかを指す可能性もある」とある。さて《ワルツ 変イ長調》は5曲ある。下田幸二氏のNo.で
2番。op. 34-1. (1831~1838年作曲)。
5番。このワルツ。
8番。op. 64-3.(1846~1847年作曲)。
9番。op.posth. 69-1.(1835年作曲)。死後フォンタナにより出版された。「別れ」。
16番。(エキエル版ではWN 28)遺作。(1827~1830年作曲)。エミリア・エルスナーのアルバムに書かれていた。
――こう並べてみると、ショパンがティートゥスに書いていたワルツは、16番だった可能性が高い。とはいえこの5番が除外される訳でもなさそう。もし5番だったとしたら、1840年に出版されるまでショパンは10年間ヌカ漬けにしていたことになる。
4.献呈ナシ、「華麗なる」もナシで出版。
ショパン生前に出版されたワルツは、わずか7曲。
1番。変ホ長調、op. 18. 「華麗なる大円舞曲」、A Mademoiselle Laura Horsford.
2番。変イ長調、op. 34-1. 「華麗なる大円舞曲」、A Mademoiselle J. de Thun Hohenstein.
3番。イ短調、op. 34-2. 「華麗なる大円舞曲」、A Madame la Baronne C. d’Ivry.
4番。ヘ長調、op. 34-3. 「華麗なる大円舞曲」、A Mademoiselle A. d’Eichthal.
5番。変イ長調、op. 42. 「大円舞曲」、(献呈ナシ).
6番。変ニ長調、op. 64-1. (子犬のワルツ)、A Madame la Comtesse Delphine Potocka.
7番。嬰ハ短調、op. 64-2. A Madame la Baronne Nathaniel de Rothschild.
(曲の表題は下田幸二氏による。なおエキエル版ではどのワルツにも「華麗なる(brillante)」も「大(grande)」も印字されていない。ドイツなどの出版社が付けた可能性がある。ショパンは校正で目を通し、楽譜を手にしてもいただろうから、是認していたと思われる。)
――これら7曲のなかで、5番だけが献呈されていない。それまでの4曲についていた「華麗なる」も消えている。そして6番以降のワルツは、「円舞曲」ですらなくなるのだ。
5.1840年のチャリティー出版。
この5番の出版事情も、ちょっと変わっている。ショパンはアントニオ・F・S・バチーニ(1778-1866年、出版者、作曲家ほか。ショパンのパリにおける最初の演奏会の切符を販売)に、1840年、このワルツ5番の手稿譜を出版権ともども寄贈した。事の起こりは1838年1月に、隣接していたイタリア座が火事で焼け、そのためバチーニの事務所が所管していたロッシーニ、チマローザ、パイジェッロ、ベッリーニ、ドニゼッティほかの手稿譜が焼失した(岩波『ショパン全書簡、パリ時代(上)427頁)。バチーニの損害補填と事業継続のため、101人の作曲家が、手稿譜と出版権を寄贈し、アルバム『101人』が1840年6月に刊行された(同上499頁)。さてボク Kurze Finger は、音大も出ていないド素人だけれども、憶測すると。ショパンはこの5番に満足していなくて、なんとか手を入れて完成させたかった。(だから献呈しようとしなかった。)でも、今回はバチーニさんの非常事態だし、作曲家101人の連帯を示さなければならない局面だ。チャリティー出版なら、ま、いっか。という流れで出版許可を出したのではないだろうか。(さらに。同じ6月に、op. 42 はライプツィヒのブライトコプフ&ヘルツル社、ロンドンのウェッセル社からも出版された。これは、版権がバチーニにあるので、独・英の出版者がバチーニに印税を払うように、ショパンが按配したのであろう、と考えられる。)
6.可愛い弟子には弾かせなかった(?)。
『弟子から見たショパン』(音楽之友社)は、きわめて詳しく調査したデータを提供してくれる。しかし、ここでもワルツ5番については、ほぼ何の情報もない。たとえば、あのスターリング嬢の自筆による証言には、こうある。

残念ながら、op. 42は欠けている(前掲書298頁)。ほかに検索しても、重要な、あるいは大事な、可愛い弟子に、op. 42のレッスンを施していた形跡はない。
以上をまとめると、 Kurze Finger の推測は以下の通り。ショパンはワルツ5番を完成とは見なしていなかった。献呈もしなかった。しかしバチーニの窮境に応じて、チャリティー出版に踏み切った。とはいえこの5番が不本意な出来であることに変りはなかった。この曲を契機として、ショパンは「華麗なる大円舞曲」の作曲をやめる。ド派手な finaleの展開は、ほかのジャンルでもできる(スケルツォ、バラード、ソナタなど)。同じ三拍子のマヅルカでは、ポーランドの魂を表現することができる。ショパンにとって、ワルツとは、確立途上のジャンルだったのではないか。本人もまだ、これだというコンセプトを掴めていない、知人のノートにスケッチするような楽譜。このあとは、いわば詩人のため息のようなワルツ。
今回のワルツ5番は、ショパンの曲がり角の、貴重な作品だったのでは。(詳しい方々からご教示いただければ幸いです。)

 

 

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