R. ヴァーグナーはユダヤ系だった? (三枝成彰講義2)

三枝成彰氏が第二回の講義をしてくれるという。聴講生は畏友Y氏と Kurze Finger とTaekoさんの三人。六本木のオフィスを訪問した。
今回はモニターで各種オペラの場面を見ながら、三枝氏が短くコメントする。ちょっとしたコメントの背景に、さまざまな思いが重なっているので、聞き逃せない。『忠臣蔵』一幕の大石内蔵助(真野資)のアップを見ると。

この肩衣(かたぎぬ)の布地が、尋常ではない。「すごい上下(かみしも)ですね」と言うと、「石岡瑛子(美術)が全部最初から作ると言ってきかないんだ」とのこと。女性の着物は布地を赤く染めるところから始めたという。「貸衣装でいいんじゃない?」と言うと石岡が「私はアカデミー賞受賞の美術です」と答えたとか。傍らのソファーの上に『石岡瑛子全仕事』(?ウロ覚え)という大部の写真集。ヴァーグナーの『指輪』の衣装など、妥協のない仕事ぶりが伺える。「天才でしたね」と三枝氏。『忠臣蔵』のコストが四億八千万円になる理由の一端である。

佐藤しのぶ(遊女綾衣)は「他所もいろいろ断っているので」と首を縦に振らない。食事に誘って半年かけて、やっと口説き落としたという。
オラトリオ『ヤマトタケル』のオペラ化では錦織健がタイトルロール(2001年)。

三枝氏はポツリと「この頃は彼が、テノールのトップのイケメンだったね」。
そーか。テノールもソプラノも、その時点の最高の歌手を(ルックスを含めて)採用するのが三枝流のオペラなのだ。費用は度外視する。”Eat Ravioli” (ラヴィオリで我慢しなさい。映画『旅情』でキャサリン・ヘプバーンが聞かされる説教)は三枝成彰には無縁であるらしい。質素倹約、足るを知る、ではなくて、何としてでも理想を実現する、最高の成果を達成する、というのが、この「特性のある男」のポリシーなのだ。衝撃的な日本人である。
モニターにはオペラ『KAMIKAZEー神風ー』の場面が提示された。特攻隊員の木村の妻、愛子が歌う。

2013年の公演の録画だった。「今ではソプラノのトップです」と三枝氏。10年前の青田刈りだったのであろう。目利きでもあるらしい。
II. 総譜の書き方。
Taekoさんは作曲も学んでいた。『忠臣蔵』が流れているときに、総譜を開いて当該箇所を見ている。
その真似をして『KAMIKAZEー神風ー』の総譜を開いた。当該箇所を見つける手がかりは、歌唱部の歌詞だ。下から数段目にある。やっと探し当てると、なかなか面白い。

これまで総譜なんか、まじめに見たこともなかった。でもVocalの下には弦楽器がある。第一ヴァイオリン、第二ヴァイオリン、ヴィオラ、チェロ、コントラバスだ。Vocalの上に、ハープがある。その上はパーカッション。頁のてっぺんは木管楽器。フルート、ピッコロ、オーボエ、クラリネット・・・と並んでいる。その下が金管楽器。ホルンが6本、トランペット、トロンボーンが6本、チューバ。いわばオペラの設計図だ。Vocalの進行につれて、弦楽器グループが弾いているところがある。あるいは木管楽器が揃って弾いている部分もある。そういう時は、たいてい他のグループ、弦楽器とか金管楽器とかは空白になっている(お休み)。たまに全パートが演奏するときは、Tutti と言って、大盛上がりになる。三枝氏「そうです。いわば世界中、どこでもこういう順序でスコアが書かれているのです」。うーむ。こういう楽譜が目の前にあったら、オペラを書かなかった(書けなかった?)ショパンも、一本ぐらいオペラを作曲できたのでは。
ボクが「自分の書いたとおりに全員が演奏するのは、気持ちいいのでは?」と聞くと三枝氏は「いや、それほどでも。でも作曲しているときは楽しいですよ」とのこと。その作曲は、朝6時までやって、睡眠薬を服んで就寝。それがざっと4年続くという。えーっ!オペラ一本に4年だと! すると、ヴェルディとかプッチーニは、ヴァーグナーは、どんな生活をしていたのだろう?
III ヴァーグナーはドイツ人ではなかった?
ルネ・コロがバイロイトで歌う『トリスタンとイゾルデ』がモニターに現れた。(ああ、懐かしい。Unitelのオペレッタ・シリーズで、『マリツァ伯爵』のタシロとか、ルネ・コロには散々お世話になった。)「トリスタン和声というのは?」と、質問した。前々からよく分からなかったからだ。三枝氏は助手らしき人に命じて、ヴァーグナー手書き譜の『トリスタン』総譜のファクシミリを持って来させた。「不倫の恋だから、決着がないんだ。永遠に彷徨うことになる。」「トニックが分からないわけですね?」「ヴァーグナーは無調音楽を作ろうとしたわけではない。ただ、そんな風になってしまった。」

手書き草稿を見ると、タイトルが普通ではない。つまり1850年代のドイツ人はFraktur すなわち亀の子文字の筆記体で書く筈なのに、ヴァーグナーはラテン文字の筆記体で書いている。(図版は手書き草稿ではなく、初版の楽譜。)
「ヴァーグナーはドイツ人ではありません!」と三枝氏。父の死後、母親が再婚した相手がユダヤ人であって、彼が末っ子のリヒャルトの父親だったという説があります、とのこと。三枝成彰著『大作曲家たちの履歴書』(上)の391頁にヴァーグナーの家系図が出ている。

父フリードリヒ・ヴァーグナーは1813.11.23に死亡。母ヨハンナは1814.8.22に再婚。種違いの妹チェチーリエは1815.2.26に誕生。つまり後夫のルートヴィヒ・ガイアーは再婚以前にヨハンナと関係があった。その前のヨハンナの子供、リヒャルトはどちらの子供だったのか? ウィキペディアによるとLudwig Geyerは肖像画家、作家、俳優で、1813年にテプリッツの劇場に出演した際にヨハンナと知り合っている。(日本語がないのでドイツ語のウィキペディアを貼付ける。)Ludwig Geyer
このウィキペディアに「リヒャルト・ヴァーグナーの実父?」という一節がある。いわゆる「ガイアー伝説」だそうだ。(つまりかなり流布している説。ボク Kurze Finger には初耳だった。)当時哲学専攻の女子学生、レザ・フォン・シルムホーファーは1884年にニースでニーチェと知り合い、その後何度かニーチェと会話する機会があった。その回想録から引用されている。

「ニースでも、その後シルス=マリアでも、ニーチェはヴァーグナーについてよく話してくれた。最初は用心深く、後にはよりきつく、ますます興奮して。彼は情け容赦なくヴァーグナーの本質と彼の音楽を解剖し、完膚なきまでにヴァーグナーのでっち上げの非本来性、その俳優性を強調した。私は彼を通じて、ヴァーグナーの継父ガイヤーが彼の実父であり、それゆえ彼にはユダヤ人の血が流れていることを初めて知った。」 - レーザ・フォン・シルンホーファー:『ニーチェという人間について』1937年。(拙訳。)

Resa von Schirnhofer (1855-1948)
――今回の講義のレポートは、この辺で切り上げよう。(切りがないので。)
辞去するときに三枝氏は「こちらの方もよろしく!」と、ドアに貼ったポスターを指さした。10月31日(木)浜離宮朝日ホールで、ベートーヴェン交響曲5番と7番を振るという。三枝成彰のベートーヴェン交響曲5&7
昨日二階正面の席を一枚ゲットした。その時点で二階正面の残席は2枚だった。

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