寺田理恵子アナは「革命」を弾けるだろうか?(4)
シリーズ最終回は、横浜の街角ピアノでの公開演奏だった。
寺田理恵子アナは「革命」を弾けた、とも言えるし、やっぱり弾けなかったとも言える。画面を見ると、満面の笑みを浮かべているし、ご令嬢も拍手をしている。「よくできた」「よかったよかった」パチパチパチ、で終っている。
もちろん、これで結構ですよ。はい。
人生のなかで、音楽を楽しむのは、よいことです、たぶん。
とはいえ他方「趣味なんかで描いていては、その道を究めることはできません」と、某画伯は言っていました。死に物狂いで模索を重ねて、やっと芸の極致に到達できるかどうか。プロはそういう求道を生きている。アマチュアはどうしたらよいのでしょうか?
*一般人は「負け組」「落ちこぼれ」である。
たとえば甲子園の野球では、優勝校以外は負け組である。ピアニストについても、三枝成彰が言うように「4歳から18歳まで」集中的にレッスンを受けて成功したら、お金の取れるスターになる。そういうラッキーな環境に恵まれなければ、負け組であり、落ちこぼれとなる。――つまり、最先端のトップレベル以外は、ほんとうに満足、納得できる芸境に到達することはできない。
*「草ソフトボール」で何が悪い?
かなり以前、プロ野球のOB達がスポンジボールで草野球をやったことがある(ウロ覚え)。「こんなに楽しかったことはない」と某氏がコメントしていた。負けて泣いたりしなくていいゲーム。これがアマチュアの強みではないだろうか。ゲームの緊迫度のグラデーションは、対照的だ。メジャーリーグでは、一打席、一投球も記録され、年俸その他にも影響する。ワールドシリーズでヤンキースのコール投手が、一塁ベースカヴァーを怠ったこと、ジャッジが平凡なセンターフライを落球したこと。これは世界の記録に残る。
ところが、草野球はちがう。「ゲーム」を楽しむのだ。メンバーは、おっさんだったり、あちこち身障者だったり、ほぼ運動音痴だったり。打って走って、投げて受けて、というスポーティなプロセス自体を楽しんでいる。そもそも野球だって、こういう遊びから始まったのでは。
*「ソフトボール」には別のルールがある。
まず正式試合は7回と定められている(9回ではない)。そして塁間が、野球の三分の二になっている。(野球で 27,431m、ソフトボールでは 18,29m)。身体能力やスタミナがやや劣る人びと、女性などがベースボールを楽しめるように設定されているのだ。
*分数鍵盤(細幅鍵盤)は、なぜ供給されないのだろう?
寺田理恵子アナは、ご覧のように、必死に手を広げて鍵盤を押さえている。標準鍵盤でございます。
ショパンのエチュード「革命」を楽しむのは結構です。完璧でなくても、アマチュアにできる程度の演奏で結構でしょう。でも「手デカ」用の標準鍵盤で、こーんなに苦しみながら弾かなくてもいいのではないでしょうか?