齋藤亜都沙の室内楽(推し!)
今週の月曜日(2025年3月24日)西国分寺いずみホールで、ちょっと変わったコンサートがあった。
フルート、ヴァイオリン、チェロ、ピアノの四人。弦楽四重奏でもないし、ピアノ五重奏でもない。この編成は、ほかでもない、フルート奏者の米山典子氏が企画したものだ。「室内楽で聴くモーツァルト」と銘打ったコンサートの三曲目はロンドだった。Rondo-Andante K. 511 transcipted by T. Böhm. この曲のメロディー部分を主にフルートが、それ以外の部分をピアノが弾いていた。(残念ながら、フルートとピアノの演奏動画は見つからない。)
なんとも心に沁みるイ短調だ。米山氏のフルートと、齋藤亜都沙のピアノが絶品だった。
休憩を挟んで後半はピアノ協奏曲第20番ニ短調 フンメル編曲 K. 466. これも上記四人の編成。
たいへんなことになった。ピアノ協奏曲であるから齋藤亜都沙は、当然ピアノ・パートを弾く。さらにオーケストラ部分も弾く(ふつうセカンド・ピアノが担当)。出ずっぱりだ。その上カデンツァが、Hummelが(当時の)現代ピアノでモーツァルトが弾いたらこうもなろう、とアレンジした斬新・独特のカデンツァなのだ。(別のYoutubeを貼り付けます。カデンツァは入っていません。)
当日同席していた畏友・田辺秀樹氏(モーツァルト研究家)が終演後に「初めて聴いた」というカデンツァだった。齋藤亜都沙はこのあと数日、ダウンして回復を図ったという。
さて、以上はマクラです。
齋藤亜都沙の伴奏ピアノは、ただの「伴奏」ではない。音楽と一体化している。顔の表情が曲想によって絶え間なく変化する。暗いフレーズに入るときには、ちょっと額が曇ったり。かすかに眉を顰めたり。一転して長調に入るときには眼がぱっと開いたり。ソリストと次の出だしを合わせるときには、必死でソリストを見つめる。まるで音楽そのものを見るようだ。(Youtubeでやっと見つけたフルートとの競演を貼り付けます。彼女の特性はほとんど出ていませんが。ボクは――ソリストには申し訳ないけれども――齋藤亜都沙だけを見ています。)
このピアノは、脇役に徹してソリストを引き立てる、という弾き方ではないと思う。これは、ソリストと一体化して音楽を作り上げるピアノだ。無私、である。ほとんどお人好しと言いたくなるほどの無私。あえて形容するならば「青天井の善良さ」が齋藤亜都沙の伴奏なのである。(たぶん。知らんけど。)
Azuちゃん、アズアズ、とか呼ばれて、あちこちの室内楽に呼ばれているらしい。彼女のInstagramをみると、東奔西走、神出鬼没。ボクは「追っかけ」をやろうかと思ったけれども、こんなに移動することはできません。
他方、齋藤亜都沙はもちろんピアニストなので、ソロ・コンサートもやっています。当然ながら、ピアニスト齋藤亜都沙の多方面、多彩な活動の一部が、こういう伴奏であるに過ぎないのでしょう。演奏動画を貼り付けます。
背中や腕の肉の付き方が、中村紘子に似てきたのですが。
齋藤亜都沙は、5月17日(土)旧国立駅舎の笙・フルート・ピアノのコンサートに出演。
さらに7月9日(水)五反田でソロ・コンサートの予定です。
最後に当日終演後の2ショットを。後期高齢者は魂が半分飛んでいます。