齋藤亜都沙(推し)がソリストになった
シューベルティアーデが代々木上原の古賀政男記念けやきホールで開催された。
齋藤亜都沙(推し!)の師匠の安井耕一氏を囲む「音楽の集い」だ。
プログラム第一部の三人目に登場したのが齋藤亜都沙。
(7月9日五反田文化センターで終演後に。)
安井耕一師と連弾したのはシューベルト:ロンドイ長調D951。この日の録画はないので、アルヘリチとバレンボイムのYoutubeを貼り付ける。
こういう連弾では通常、手練れというか上級者が低音部を担当する。高音部はお客さん、と言ったら失礼か、自分のパートに集中してさえいれば、あとは低音部が支えてくれる。この日もサステイン・ペダルは、ずっと安井耕一師が踏んでいた。それゆえ、齋藤亜都沙は珍しくソリストになった。――この日はじめて気づいたのだが。ピアニストが「独奏」しても、実のところ本当の「独奏」ではないのである。左手は低音部のベースを弾き、加えて和音(コード)を押さえる。右手も和音の一部を押さえて、さらにメロディーを弾く。いわばジャストリオのベース、ギター、サックスを一人でやるようなものなのだ。
齋藤亜都沙はソリストになった。つまり普段伴奏者として支えているヴァイオリニストやフルーティストへと、逆転して変身した。安井耕一一師に低音部を支えられて、齋藤亜都沙はソプラノ歌手のように、ローラーカナリヤのように、歌った。
この耳福、眼福は、何物にも代え難い。
ベーゼンドルファー・セミコンサート225。92鍵(低音部に4鍵増設してある)。
第二部で松浦洋子氏がプロコフィエフ Op.76を弾いた。それから安井耕一師が指導。「親指は、岩の塊を海に回し入れるように弾くんだ」などとジェスチャー入りで指導すると、弾き直した松浦洋子氏の音は、どよもすような波濤の響きとなって会場に轟きわたった。聴衆から拍手が湧いた。
第二部の後半では、おもにブラームス「51の練習曲」に重点を置いたレクチャー。
安井耕一師:「職人が51本の鑿を使っている。その砥石は、一本ごとに異なっている。ここには51の砥石があるんだ」。師によれば、日本のピアノ界は音の出し方が分かっていない。指先で鍵盤を叩いてはだめだ、腰から起動して背中、肩、腕と動きが連動する、手指は回転しながら、それぞれの指の最適の強度で打鍵する。ハンマーが打弦するのは、鍵盤が底に着く手前である、などなど。
Youtube にいくつかのレクチャーがアップされている。
「安井耕一:ブラームスの51の練習曲」
齋藤亜都沙のおかげで、これまで知らなかったピアノ演奏技術の世界が開けてきました。