齋藤亜都沙のジョイントリサイタル

今どき夢のような Duo Recital を渋谷区広尾の la Salle F で体験した。座席は max 80人程度のこぢんまりしたホール。そこに2024年製のピッカピカのハンブルク・シュタインウェイ D274 がある。

齋藤亜都沙は何でも弾ける。この日、ガーシュウィンの Embraccable you では本物のガーシュウィンの音が聞えたので、嬉しくなった。(ボクは65年前からガーシュウィン・ファンなのだ。)状況次第でピアノは、ヴィブラフォーンのような音、チェレスタの音など自在に奏でる。もちろんドカンと大音量も出す。大屋根全開のグランドピアノの前で歌える、ソプラノの中野瑠璃子さんは相当な実力であろう。彼女が今回「掘出した」らしいガーシュウィンの「By Strauss」は、映画『パリのアメリカ人』の前半でボクには馴染だった。監督はヴィンセント・ミネリ(ライザ・ミネリの父)。ミュージカルぽくなりすぎているかも。

特筆すべきは、宮本正太郎氏の「日本のうたによる幻想曲」(デュオ版委嘱初演)。名曲のメドレーを、見事に編曲していた。(聴いていて腹筋が動いた。)
コメントしたい演目は切りがない。ブログとしては、長広舌は慎みたい。
齋藤亜都沙のヘアスタイルは、また更新されて絶佳。イヤリングの輝き、ネックレスなど、 la Salle F 仕様であるらしい。今回もまた、耳福、眼福、そして口福に恵まれたコンサートでした。
今回の独特のプログラム編成について、解説しないわけにはいかない。

1.なぜ『カルメン』から始まったのか。
『カルメン』の初演は1875年。福原資生堂薬舗、つまりFukuharaの前身の創業が1872年だったからだ。( la Salle F のFはFukuharaのF。)
2.なぜ滝廉太郎の「憾(うらみ)」だったのか。(『メヌエット』に続いて演奏された。)
このリサイタルの副題は「音楽で巡る100年の旅」だ。日本の洋楽の草創期の様子は萩谷由喜子『幸田延』に詳しい。滝廉太郎はわずか23歳10ヶ月で肺結核のために夭折した。(『幸田延』194頁。)その遺作が「憾」である。1903年。
3.なぜドビュッシーの「月の光」なのか。
1890年に作曲され、1905年に改訂された。ほぼ「憾」と同時期である。滝廉太郎は留学先のライプツィヒでオペラ『カルメン』を鑑賞した帰りに夜風にあたって体調を崩したと伝えられる。その同時期のドビュッシーの音楽の豊穣さ、奔放さ。
4.なぜミュージカル・ナンバーなのか。
ソプラノの中野瑠璃子さんは、映画『ウェストサイド物語』を観て、ミュージカル・スターを志したという。
――などなど。現在ウィーン在住の中野瑠璃子さんならではのレハールや By Strauss も入っている次第。
おかげで、齋藤亜都沙の適応力の凄さが発揮された。「踊り明かそう」(マイ・フェア・レディ)のアップテンポの伴奏のドライブ感の痛快だったこと。すでに述べたように、伴奏ではなくて、齋藤亜都沙はソリストと一体化して、音楽を完成させずにはおかない。
*La Salle F 代表の福原和人氏による、中野瑠璃子さん、齋藤亜都沙へのインタビューがあった。ご自身もピアノ、ヴァイオリンを嗜むという福原氏による軽妙な質疑応答が会場の空気を和ませた。
*各ステージ終了後にワゴンに載って「ドリンク、軽食」がサービスされた。オーストリア産のワインを始め、ドリンクも軽食も、きわめてレベルの高い、吟味されたものだった。「ものごとはすべて”リッチ”でなくてはならない」(福原信三)に悖ることのない「軽食」に、会場は華やいだ。

大谷翔平と齋藤亜都沙の同時代人に生まれた幸せを噛みしめる一夕だった。

(参考)
福原グループ (クリック)
La Salle F (クリック)

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