クロイツァーの手
中田喜直の随筆集『音楽と人生』に、クロイツァーが細幅鍵盤を推奨したが挫折したという記述がある(132頁)。レオニード・クロイツァー(1884年~1953年)は、ペテルブルク音楽院でラフマニノフの後輩、作曲を習ったグラズノフ先生の弟弟子にショスタコーヴィチがいる、という柾目の通った音楽芸術家。(詳しくは萩谷由貴子著『クロイツァーの肖像』参照のこと。)そのクロイツァーが、前々から狭い幅をもったキー(鍵盤)のことを考えていた、と『芸術としてのピアノ演奏』(音楽之友社)に書いている。(中田喜直は、この草稿は戦前に書かれたもの、と推測している、つまりクロイツァーのレッスンを受けた日本女性のために考えたわけではないと推測する。)
この、細幅鍵盤を潰したピアノ科主任の教授先生の、爪でも髪の毛でも入手して、丑の刻参りに活用したい。本人はすでに鬼籍に入っているかもしれないが、なーに、末代まで祟ってやる。(なにしろ現にボクが祟られている。)ベルリン高等音楽院ピアノ科主任教授だったクロイツァーの提言を言下に否定できるとは、よほどの天才的巨匠に違いない。SPレコードの一枚でも残っていたら、ぜひ拝聴したいものである。
さて、クロイツァーの手の写真があるので見てみよう。これは上記『クロイツァーの肖像』のカヴァーの裏表紙に置いてあるカットだ。右手はオクターブを押さえている、つまり親指はレ、小指は上のレ。余裕で八度を押さえている。ボク(kurze finger)ならばレからシ、つまり六度を押さえている感じ。ボクがオクターブを押さえる感じでクロイツァーがちょいと手を拡げれば、あっさり10度は届きそうだ。頑張ればあと半音、つまり11度あたりまでは行きそう。
これほどのスパンをもつクロイツァーであっても、「思いもよらない新しい困難にぶつかる」ので、「狭い幅をもったキー」の可能性を考慮してきた、というのである。
――おそらくクロイツァーには、15/16サイズのキーボードが最適だったろう。そして、クロイツァーほどのスパンすらないピアニストには、もちろん7/8サイズとか3/4サイズのキーボードが適しているだろう。あたりまえの話ではないだろうか。