『くるみ割り人形』(新国立劇場)

新国立劇場のホームページより (中国の踊りも同様。)

Advent(待降節)には『くるみ割り人形』を家族で観る、と決まっているらしいので。縁者3名とともに今季の初日に行きました。なかなかよかった。振付のイーグリングが画期的。(というか全体の演出も彼なのだろうか。)鉛の兵隊とネズミ軍との攻防がこんなに面白かったことはない。雪の精の集団舞踊もすばらしい。花のワルツも含めて、イーグリングは「マスゲーム」の演出の天才かもしれない。(平壌や北京のイヴェント担当はマークしているかも。)衣裳、美術、照明もOKと思う。
1.ねずみの王様は2幕の冒頭で王子に刺殺される。えーと、これまでは1幕最後でクララがスリッパを投げてくるみ割り人形を救うはずだった。ヒロインが勇気ある行動をすることで事態が解決する、それにより二人の愛が堅固になる、というパターンを踏襲しないのは、惜しい気がする。
2.雪の精の踊りの途中から、コーラスが入る。(ボクはいつもこれを楽しみにしていたのに・・・)今回は「東京少年少女合唱隊」という、なんだか不思議なコーラスだった。つまり少女の声も入っている。むかしむかし、20数年前にウィーンのStaatsoperでマラーホフの『くるみ割り人形』を観たときには、当然ながらウィーン少年合唱団だった。たとえばストレート・珈琲を頼んだのに、出てきたものを飲んだらシュガーが入っていた、という違和感。純正少年合唱団で歌って欲しいと思った。これはチャイコフスキーがLGBTだったことと関係あるかどうか知らないが。
3.インドの踊り。いつもいつも、ここはどんな振付をするんだろう、と興味をもって観ている。どうしようもなく単調な曲。やっぱりNGです。ここはたとえば思い切って、カジュラーホ寺院の男女の群像を舞台いっぱいに展開するとか。あちこち順番にカーマ・スートラの48手をじっくり展開するとか。文科省も理解するのでは。たまにはアダルトな光景もアリと思います。
4.中国の踊り。京劇の孫悟空のコスチュームはヒット。これまでの因習的、コミカルな中国イメージを、そして飛び跳ねるだけの振付を克服した。拍手。
5.花のワルツ。これまでの演出に満足したことはない。今回も同様。マスゲームとしてはまあまあでしたが。とにかく曲が長い。長丁場だから振付師はどうやって目先を変えるか、頭を悩ませる。その原因は最初から出来上がったカップルが群舞を続けるところにある。ボクの一番好きな中間部の「懊悩、落ち込み」の部分(Fis-G-Fis-E-Dis-E-G-Fis-Fis-E-E-D~)を結節点にしてはどうだろうか。つまりそれ以前は女性のみの群舞、男性のみの群舞で、求愛が退けられたときにこの中間部が鳴る。そのあと解決に向かう、という段取り、などなど。
6.グラン・パドドゥ。もちろん結構でした。でもつまらない。最初から最後まで「めでたしめでたし」みたいな踊りでは退屈です。チャイコフスキーの曲をまじめに聴けば、めでたい曲のなかにも、疑惑、嫉妬、落ち込みなどの要素をキャッチすることができる。そこからドラマを形成できる。たとえばねずみの王様(たいてい王子よりも強そうでイケメン)がクララを誘惑するとか、蝶々が王子を誘惑するとか・・・そういう小さなドラマを見つけ出せるような音楽をチャイコフスキーは作っているのではないだろうか。まだまだ演出家、振付師がこの鉱脈を掘り尽くしていない、とボクは見ている。

連句

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