二期会:後宮からの逃走

二期会ホームページより。大和田伸也。

*大和田伸也(セリム)がヒット。歌のない大役というと『こうもり』のフロッシュだが、『後宮・・・』のセリムもそうだった。ベルモンテが不倶戴天の敵の息子と知り、それでも、いやそれゆえに、「怨みに報ゆるに徳を以てす」(老子・六三)と若者4人を解放する。苦渋の決断。それなりの思い入れと貫禄と気品がないと、ただの好々爺になってしまう難しいところ。好演。もともと結果を知ってはいたけれども、ボクの右目からは涙が流れていた。コンスタンツェがどうしてもなびかないのだから仕方がない。高価なプレゼントもすべて空振りに終る。ゲーテをどうしても思い出してしまうが、老人が求愛しても、ただの見当違いになってしまう。
最後にセリムは若者たちに四角い箱を渡す。彼らはおろおろして押しつけ合っている。インタビュー記事(プログラム)によれば、演出のギーが京都で三種の神器の「箱」の話を聞いて思いついたという。若者はまだ愛が何か知らない。それが四角い箱の中味らしい。とはいえ、あきらかに幾何学模様の穴だらけの箱は空洞だ。あるいはセリムはコンスタンツェに、ベルモンテとの愛がからっぽだと分かったら、戻ってこい、と言っているのかも。(大和田伸也と同い年のボクとしてはそう思いたい。)
*セリムの解放宣言を聞いてオスミンが「おれのブロンデは?」と言うところで、思わず吹き出してしまった。meine Blonde と言うところが、いかにも哀れである。オスミンには(たぶん)何も残らない。一方セリムには見たとおり、歓び組が確保されている。
*男声陣は好演。ベルモンテの山本耕平のテノールは、ド・テノールの声が日生劇場に響き渡った。オスミンの斉木健詞の力強い声もよく轟いた。(バリトンかと思ったら、プログラムにはバスとある。)

(二期会ホームページより)カーテンコール

*ドライアイスをふんだんに使用した(いわゆる)トルコ風呂はちょっとした眼福でした。金のブラジャーつきでしたが。バレエのないオペラとしては、全裸は無理でも肉襦袢ぐらいにはしてほしかった。それ以外の歓び組の衣裳は、アール・デコ風というかクリムト風というか、一人一人意匠が違っていて、これはこれで眼福でした。
*他方、ガードマンの衣裳は。ミニスカポリスがパンツを穿いたような。もうちょっと何とかならないか。(演出のギー氏はおそらくミニスカポリスをご存じないだろう。)
*オーケストラからは随所でシンバルと太鼓の「トルコ風」の音が聞こえた。(これは自宅の再生装置でDVDを流しても聴き取れないだろう。)つい昨日TVで「ショパン国際ピリオド楽器コンクール」を見たが、18世紀のウィーンのフォルテ・ピアノが出てきた。ペダルを踏むとベルが鳴る仕掛けがついていて、川口氏(第二位入賞)がトルコ行進曲(モーツァルト)の冒頭を演奏して見せた。当時は「トルコ風」がかなりの人気だったようだ。
*プログラムのスタッフを見たら、「アクション指導 古賀豊」とあった。冒頭の立ち回りのほかにも、あちこちでめまぐるしい人の動きがあった。これは推測だが、同じ歌詞のアリアとか二重唱、四重唱などが延々と続くので客が退屈しないように、視覚的に変化をつけているのだろう。だが歌詞は同じでも、モーツァルトはあの手この手でヴァリエーションを奏でているのである。さまざまな和声の変化などを味わいたい聴衆にとっては、警棒で突いたり急所を殴ったりする場面は邪魔です。それゆえ、そろそろ日本でもウィーンの Staatsoper なみに、液晶テキスト画面を導入する時期に来ているのではないだろうか。舞台両翼の日本語字幕はそのままとして。たとえば液晶画面を iPad 並みに大きくして、4重唱の場合には原語でそれぞれのパートの歌詞を色違いで呈示すれば、長ったらしいヴァリエーションでも興味をもって追うことができる。もちろん選択すればハングルでも Mandalin でも表示できる・・・というような。(当然ながら韓国、中国の企業から寄付をいただいてからでよろしいでしょう。)東京文化会館、新国立劇場、日生劇場ぐらいは、設置してほしいものです。科学技術立国日本ができないわけがない。お上の決断、ないしお上のレベル次第でしょう。