ピアノ(のようなもの)が弾けるようになりました。
16日午後1時にISAMU. H氏が到着。6時に退出。つまり5時間かけて調整してくれました。
1.まず「戻らない」鍵盤数カ所については、口板(くちいた)つまり鍵盤が沈み込むところの手前にある木製の板が、内側に湾曲したために、キーグリップ(鍵盤の先端の白い小口)が口板に接触して戻らなくなったことが判明。ISAMU. H氏が口板の内側2箇所にゴムを挿入することで解決した。
なぜ口板が内側に湾曲したかというと、ピアノ運送会社が養生をしっかりして、緩衝材でピアノをぐるぐる巻きにして、これでもか、と締め付けたから。その程度でふつう口板は湾曲しないものであるが、この口板はP技研工業のN氏が、半分ほどの厚さに削ったものだ。なぜ口板を半分に削ったかというと、鍵盤全体を、8㎜ほど前方に出したからだ。なぜ8㎜ほど前方に出したかというと、鍵盤のバランスが不適当だったからである。
ピアノは、バランスレールのピンを支点として、キーグリップ上に力点があり、キャプスタン・ワイヤーの箇所に作用点がある。コンソール・ピアノの場合(下の5参照)a : b は5:4と決まっている。ところがこのSteinbuhler-Walter社のピアノは、a : b が5:3だったのである!
これでは作用点のキャプスタンに伝わる力が別物になってしまう。N氏は悩んだ末に、バランスレールを右側に設置し直し、キャプスタン・ボタンを左後方に設置し直し、全体のバランスを5:4になるように改造した。大改造である。(なおグランドピアノについてはシュタインビューラー氏が自ら設置しているとのことなので、こういうことはないかもしれない。また、Walter社の標準鍵盤ピアノについても、このようなことはないかもしれない。今回はあくまでボク Kurze Finger が入手したアップライト・ピアノ(正確にはコンソール)のデータである。)バランスレールを(上図の)右側に移動したため、鍵盤の先端部分が元々の口板の位置まで進出した次第。それゆえ口板を8㎜ 削って、薄くしたのである。なおISAMU. H氏によると、鍵盤を作るとは、バランスレールも一緒に作るのであって(そうしないとアクションの下に組み込めない)、その他の部分も含めて「鍵盤フレーム」というものを作る。それを、ちょいと調整しながらピアノに組み込むのである。このピアノはそれをしていない、おそらくそれがすべての不具合の根源である。
2.エイリアン・ピアノの実態。
すでに述べたように、ボクはこのピアノの購入を勧めない。(きわめて婉曲な表現です。)まず鍵盤の沈み込みについて。ポーンと鍵盤を押したとき、その沈み込む距離は、10㎜+-0,5㎜ と決まっている。このピアノの場合は13㎜ であった。ダウン・ウェイト、つまりペダルを踏んだ状態で鍵盤に分銅(weight)を載せた場合、52g で鍵盤が沈むようになっていなければならない。このピアノの場合、45g、55gなどバラバラだった。アップ・ウェイト、つまりペダルを踏んだ状態で鍵盤に分銅を載せた場合、25g で、鍵盤が自然に起き上がらなければならない。ところがこのピアノの場合、ある黒鍵は分銅をいくら載せても鍵盤が起き上がる。N氏がもってきた分銅全部、55g つまり規程の倍以上を載せても、鍵盤が起き上がる。それだけ後方の重り(鉛)が多量に組み込まれているわけだ。したがってピアニストは、通常以上の力で打弦しなければならない。
そして打弦距離、すなわちハンマーから弦までの距離。説によって多少のバラツキがあるけれども、46mm~48mm というのが標準である。このピアノでは、高音部が44mm、低音部は41mm であった(N氏の正式な測定による)。これでは、もはやピアノとはいえない。ただ杓子定規に規範の数値に一致しないからではない。たとえば沈み込み10㎜ というのは、連打する場合の鍵盤の戻る距離、時間も関係するし、もちろんアップ・ウェイトの25gというのも関係する。スケールを弾く場合、和音が移行する場合、鍵盤の角で指を痛めることのないようにという配慮もある。長年の蓄積による数値なのだ。
3.鉛の入れ替え。すでにみたように、このピアノの鍵盤には多量の鉛が組み込まれている。鍵盤のバランスが5:3という異常な比率なので、キャプスタンに伝わる角速度の不足を補うために、打弦距離を短くし、鉛を多くして強い力で鍵盤を叩かせるようにしたと思われる。鍵盤の沈み込みが13㎜ になっているのも、力点を深くして、作用点に強く力を伝えようという魂胆から。つまりまるっきりデタラメなのではなくて、バランスレールの不適切な位置をそのままにして、あちこち姑息な弥縫策を講じているわけだ。N氏は、バランスレールを新規に設置し、5:4の比率に改めたので以前の鉛を取り出し、木材で埋め、あらたに日本製の鉛を埋めて、ダウン・ウェイト50g 、アップ・ウェイト25g に修正した。
左は修正前の鍵盤と鉛。この木材の反対側は、穴の上下の木部が剥がれていた。通常、重りを入れる穴は(日本では)半分ドリルで開けたら、裏返して反対側から開けて、綺麗な穴にする。アメリカ人は、一気にドリルで反対側までぶち抜くのである。しかもその穴に直接、溶けた鉛を注入する。日本では、単位としての小さな鉛が用意されていて、それを位置を測りながら埋め込んでゆく。
左が修正後の鍵盤板。薄い茶色のマルは、もともとあった鉛を外して、木材で補填したもの。そこに新たに日本製の鉛を組み込んでバランスをとった。アメリカ製の鉛を外す作業は、もとの鉛の中心部にドリルを当てて、慎重に鉛だけを除去してゆく。木部(7/8サイズ鍵盤)を折ったりしたら一巻の終りだからだ。一本で3箇所。それが88鍵ある。気の遠くなるような作業だ。右の先端の上に、新設のキャプスタンが見える。これもアメリカのキャプスタンを除去して、木材で埋め、あらたに先端に近い部分に埋め込む。
4.多層合板の問題(ハンマーが折れそう)。 調律しながらISAMU. H氏が「ハンマーが折れそうだ」と悲鳴をあげた。ピン(ピアノ線を巻き付けるネジ)を植え込んである多層合板が堅くて、ピンを締めることができないのだ。これはこのピアノの欠陥というわけではない。原産地ペンシルヴァニアと日本の気候の違いによる。
左はピアノの蓋をあけて上から見た多層合板。木目がタテ・ヨコ交差するように貼った合板でピンをがっちり固定する。それでも日本に来てほぼ1年、湿気を吸って板が膨張し、ピンを回すことがきわめて困難になっている。逆に日本のピアノが欧米にゆくと、湿気がなくなって乾き、ピンがゆるゆるになるという。やはり日本で弾くピアノは日本で作るのが最善であるらしい。とはいえメーカーはふつう、弦が「落ち着く」までしばらく自社工場に置いて、新品のピアノは何度も調律してから出荷するはずだ。今回は特注によりあわてて作成し、あわてて出荷したのではないかと想像する。ピアノ線は強烈な力で戻ろうとする。昨日調律されたのに、今日はすでにいくつかの音が下がってきている。
5.これはコンソールであって、アップライト・ピアノではない。
シュタインビューラー氏のカタログにも、注文請書にもアップライト・ピアノと書いてあるけれども、これはコンソールである。大きな違いは、鍵盤にアクションがじかに載っていること。つまり上記1の図にある、キャプスタン・ボタンとキャプスタン・ワイヤーがないのである。この両者があるものをアップライト・ピアノという。ブラザーピアノには、この両者がある。どうでもよくはない。調律にあたって、ワイヤーの角度を調整する
ことができるし、キャプスタン・ボタンは回して上下に動かすことによってアクションにかかる力の増減を調整できる。左の黄緑色で囲んだ部分がそれである。その分アップライト・ピアノは背が高いし、響板がより大きく、低音部の弦は細く長く張れる。(コンソールの低音部の弦は、針金を巻き付けて低音にしている。)
Steinbuhler-Walter社の「アップライト・ピアノ」。アクションが鍵盤にじかに載っている。キャプスタン・ボタンもキャプスタン・ワイヤーもない。
6.西部劇の酒場のピアノ。
調律師ISAMU. H氏の膨大な作業の一部をお伝えした。とにかく、おかげで指を痛めずに、スムースに音階を弾けるピアノにはなったらしい。ISAMU. H氏はニコニコしながら、「ま、西部劇の酒場のピアノでしょう」と言った。たしかに、スコット・ジョプリンとかラグタイムなどは合うかもしれない。スピッツ犬のように、ワンワン、キャンキャンいう音である。さて、みなさまに試弾の機会を提供すべきかどうか、悩みます。たしかに7/8サイズのキーボードではあるけれども。弾いてみて7/8サイズ鍵盤のピアノまで厭になるひとが少なくない予感がする。
――とにかく疲れた。ボク、 Kurze Finger が実験動物となって、退職金の一部を喪失して、このレポートを書いたことになります。ぜひ参考にしてください。