ヨーゼフ・ホフマンとスタインウェイの謎(2) 

なぜヨーゼフ・ホフマンの死後に、彼の特注のスタインウェイが破壊されなければならなかったのか。それは今もなお謎のままである。ボク( Kurze Finger )の推測するところでは、スタインウェイの技術者がホフマンのためになんらかの特殊な変更を施して、しかも一般化できないものであったために、隠匿する必要があったのでは。あるいは、「ホフマンの手は小さい」という神話と、スタインウェイは彼のために鍵盤巾の狭いピアノを作製した、という噂を信じて「私にも細幅鍵盤ピアノを作って。金はいくらでも出す」というアメリカ人の注文が殺到して、応じきれないスタインウェイが細幅鍵盤の現物を抹消したのかも。
ここに1986年2月にハンブルク・スタインウェイがハノーファーの音楽・劇場芸術大学の音楽生理学研究所(Institut für Musikphysiologie)の医学博士 Ch. ヴァーグナーに宛てた文書がある。音楽生理学とは、耳慣れない名称だ。これはドイツ、ハノーファーが発祥の地で、カナダのオタワにもあるという。ロンダ・ボイル(メルボルンのピアニスト)によれば、腱鞘炎など不適合の楽器による身体損傷の研究で多くの成果をあげているという。(日本人の手のスパンのデータさえ集めていない、日本音楽教育学会とは、えらい違いだ。)
少々脱線するが、この音楽生理学研究所に古屋晋一氏が在籍している。彼の『ピアニストの脳を科学する』(春秋社)は、かなり前に貪るように読んだ。彼自身ジストニアを病んでいる。(ジストニアといえば、『羊と鋼の森』の双子のひとりがジストニアになっている。)江古田のDr.酒井も、このごろはジストニアを研究テーマにしているようだ。ピアノ演奏は、脳の作業であるけれども、同時に肉体の筋肉、腱などの物理的な、あるいは生理学的な作業でもある。古屋晋一氏のインタビュー記事を貼り付けておく。 古屋晋一氏のインタビュー記事
さて本題に戻ろう。1986年のハンブルク・スタインウェイが書いた手紙は、おそらく医学博士 Ch. ヴァーグナーの問い合わせに対するもの。PASK のホームページにも採録されているドイツ語の文書であって、一応貼り付けるが、全文を邦訳する必要はない(のちほど理由が出てきます)。
steinway to ch. wagner 1986
「1911年に描かれたスケッチに基づいて1930年にヨーゼフ・ホフマンのために作製された特注のピアノは、鍵盤が通常のピアノよりも 1  3/8 Zoll = 3, 5cm 短くなっていた」とのこと。標準鍵盤は、多少のばらつきはあるけれども 1225㎜. 全体で7 1/4オクターブであるから、1オクターブが 164,4㎜となる。標準鍵盤ピアノの1オクターブは165㎜だから、ほんの0,6㎜ほどオクターブ巾が狭かったことになる。たったこれだけのことで特注するだろうか?
ここで真打ち登場。米国メリーランド大学に International Piano Archives at Maryland がある。(「国際ピアノ文書館」で検索してもヒットしない。日本ではその存在が知られていないのだろうか?)会長はアリシア・デ・ラローチャ、副会長がグレゴール・ベンコ(Gregor Benko)氏。もともとグレゴール(と呼ぶことにする)がヨーゼフ・ホフマン関連の膨大な資料をメリーランド大に寄贈して、この文書館が設立されたという。ボク( Kurze Finger )の質問に対して懇切丁寧な返信が3通来ている。このあとかいつまんで紹介する。
「ヨーゼフ・ホフマンの身長は5フィート4インチで、当時の平均よりも低かった。過去の大ピアニストの幾人かは短躯です、タウジッヒ、パハマン、ローゼンタール、ダルベールなどなど・・・」
「ハンブルク・スタインウェイがCh.ヴァーグナーに書き送ったものは、オリジナルに由来するものではないと確証しなければなりません。ニューヨーク・スタインウェイにこそ、オリジナルのドキュメントはあったのであり、それらはヘンリー・スタインウェイ氏から国際ピアノ文書館(IPAM)に寄贈されています。ホフマン自身の文書類(papers)もまたIPAMに寄贈されています。この二つの資料により、ホフマンの特注ピアノについては、網羅的にカバーされています。」
「ここにアレクサンダー・グレイナー(Alexander Greiner)、ホフマンの親友でスタインウェイのアーティスト部門のマネジャーだった男の手紙があります。ヘンリー・スタインウェイが私にコピーをくれたのです。
1954年12月21日、サーシャ(Alexander)グレイナーが、ホノルルの Thayer Piano Company のハロルド・ミッチェルに:”ヨーゼフ・ホフマンのコンサート・グランド(pl.)の白鍵は、ほんの少し巾が狭い。どのキーも 1 / 32 インチ未満で狭くなっている。鍵盤全体の巾は通常より1インチ未満、狭くなっている。ピアノ全体の構造や外郭は計測的に何の変更も加えられていない。実際、鍵盤巾の違いは気づきにくいもので、ホフマン自身、ときどきからかわれた(fooled)。”
したがって、ホフマンの特注細幅鍵盤は、オクターブで 1 / 4 インチだけ狭かった。標準鍵盤ピアノのオクターブは 6, 5 インチだから、ホフマンのピアノの1オクターブは 6, 25 インチだったことになる。」

 

 

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