🎹「キエフの大門」を細幅鍵盤で弾いてみた。
ムソルグスキーというと、中学や高校の音楽の教科書のすみっこに肖像画が載っていて、なんだかアル中のホームレスみたいな印象だった。
レーピン画、1881年。トレチャコフ美術館蔵。wikimedia.
(母親が死んでから、アルコール依存症にはなったらしいが。その母親から6歳からピアノの手ほどきを受けた、とのこと)。家柄は地主階級だったが零落し、下級官吏となった。肖像画は巨匠レーピンが、旧知のムソルグスキーの死ぬ10日前に描いたという。(レーピンは4日で仕上げた。)よく見ると、瞳のかがやきとか、シャツのお洒落な柄とか、ホームレスとは違っている。『展覧会の絵』は、友人のW.ハルトマンの遺作展に触発されて作曲された。その最終曲が、いわゆる「キエフの大門」だ。「全音」の楽譜では Das Bohatyr-Tor in Kiew となっている。ヴォガトゥル(と一応表記しておく)は、ロシアの民衆に語り継がれた英雄叙事詩の、英雄のこと。
時代により神話的英雄など、変遷があるらしい。こんな強そうな男たちが迫ってきたら、逃げるか、死んだふりをするしかない。
さて、ハルトマンのデザインを見てみよう。キーウの門は1240年にモンゴル軍によって破壊されて、存在しなかった。その再建案に応募したハルトマンのデザインは不合格だった。アーチの上部には、ギリシャ聖教の会堂がある。
そして、右側の鐘楼には、鐘が三つ
見える。ボクの勝手な憶測だが、聖堂では戦死者を悼む儀式が行われる。
そして、鐘楼からは、弔鐘がなり響く。
いろいろな翻訳があり、「凱旋門」というのもあったが、悲しいかな、勝ち戦からの凱旋、というものが、ここでは考えられていない。及ばずながらの抗戦、果敢な挑戦をした「勇者、英雄」を讃え、その死を悼むのがBogatyr 門であるらしい。まことに、現在のウクライナのキーウに相応しい。とはいえ、もっかの状況を二分法的に、プーチン単独悪人論ととらえるのには少々疑問がある。
寝た子を起こすような、NATOの拡張。これには某国&某国の軍産複合体とインテリジェンスの周到な下書きがあったのではないか。ウクライナはグローバルなグレートゲームの犠牲なのでは、と思わざるを得ない。
さて現在キーウには「黄金の門」というのがある。1982年に再建されたのだそうだ。これが、ド・スターリン趣味の左右対称なのである。
この、偉そうな、うっとうしい建物は1982年に作られた。ベルリンの壁崩壊の前だ。コミンテルンの指導のもと、こんな「黄金の門」が。願わくば、プーチンのミサイルの誤爆によって、これが破壊されんことを。
もちろんボクは、ハルトマンのイメージにしたがって「キーウの英雄門」を弾いた。もし標準鍵盤で弾いたら、後半の三和音を左右の手でオクターブを上下して弾く部分など、酸欠状態になったのではないだろうか。例によって、無謀曲・見切り発車・鑑賞非対応です。よくまあ、後期高齢者がここまで無理をしたものだ。
乞うご笑覧。
https://www.youtube.com/watch?v=R0qu1VLxCOI
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