チャールズ・ブコウスキー『パルプ』

チャールズ・ブコウスキーの『パルプ』(柴田元幸・訳)。万城目学が週刊文春で再三にわたって称揚していたので、読んでみた。主人公は(表紙のイラストを見れば分るとおり)三流の私立探偵。酒好き、女好き。まぬけではないが、平気で危ないところに飛びこんでゆく。つまり、読んでいる男が(男にかぎると思う)、こうなると面白いのにな、と思うとおり、ないしそれ以上に面白くなる。そしてヤバくなると、ちょうどいい具合に、宇宙人のような、魔女のような別嬪がどこからともなく現れて、救出する、というパターンが何度か繰り返される。

パルプとは、文字通りパルプ。使い捨ての安物小説のこと。意識的に、狙ってそれを書いているのがブコウスキーのすごい(?)、あるいはヤケクソなところだろうか。(読んだのは半年前なので、もう半分忘れている。)ニーチェは Der Mensch ist etwas zu ueberwinden (人間とは超克されるべき、あるものである)と書いたが、主人公ニック・ビレーンは、オノレを超克しようなんて、一度も思ったことがなさそう。ブコウスキーは意図的にこういう主人公を書いたのかもしれないが。読んでいて分るのは、なるほど、小説は何でもアリなんだ、何を書こうと自由なんだ、というメッセージだろう。
それにしても、最後にヤバくなったとき、死の貴婦人がビレーンを助けなかったのはなぜだろう? こうしないと終わらないからか。