二期会『タンホイザー』2月21日(日)
舞台の両サイドに「床」があった。歌舞伎で太夫と三味線が座るところ。御簾まである。あきらかに歌舞伎から「学んだ」構成。最初は左(下手)だけで、ハープ2台とパーカッション。まさにボクが常々双眼鏡で見ようとしていたパートなので、嬉しかった。Venusberg のタンバリンもよく聞こえた。第二幕第四場の入場行進曲では、右(上手)に「床」が現れて、トランペットが4本。むかしむかし、中学生のころに「合唱曲集」という楽譜がなぜかあって(姉のものか?)、何度も『タンホイザー』行進曲の伴奏譜を、どんな話かも知らずに弾いていたが、60年経って繋がった。長生きも悪くない。ヴァーグナーとなると、一種の割り切れなさがつきまとう。効果を狙った、作曲のあざとさが鼻について、素直に聴けないところがある。ところが、その計算され尽くした効果に乗って入り込んでしまうと、快適この上ない。誑(たぶら)かされるのだ。むかしウィーンに住んでいたころ、シュターツオーパーのヴァーグナー公演のチケットを買おうとすると、常時全席売切れだった。少なくとも採算に関してはヴァーグナーは別格であるようだ。
ボリス・クドルチカの装置は、天井から円筒形の格子(バドミントンのシャトルコック状)が斜めに垂れていて、さまざまに機能していた。エリーザベトのアリアでは、背景の梁とともに十字架を形成。幕切れでは格子が緑色に光り(杖のひこばえの意味だろう)、タンホイザーがよじ登ると、上から白衣の女性が下向きに手を伸ばす。これはもちろん、ゲーテ『ファウスト』結句の das ewig Weibliche zieht uns hinan. の視覚化だろう。舞台正面奥には、活人画枠があり、Venusberg では肉襦袢のバレリーナ、第二幕では猟師姿の領主や騎士たちを提示していた。隣席の介護員、ハルカに「ボッティチェッリのプリマヴェーラみたいだね」と言ったら、(?)という反応だったので、あとでウフィッチの画像をメールで送ってやった。
冒頭のVenusberg は、赤いソファー、赤いベット、ヴィーナスも赤毛。ハンブルクの娼家(行ったことはないが)のどぎつさ。ゲップの出そうな飽食感。賢者タイム(omne animal triste post coitum)と、そのあと復活する愚者タイム、との往復という、動物 animal の呪いからわれわれは逃れられないが、この厄介な仕掛けからVenusberg、ローマ教皇、エリーザベトによる救済という大がかりな展開をやってのけた『タンホイザー』は、やはりいつまでも残るだろうなと思わされる。
エリーザベトの竹田倫子は、おそらく初耳。堂々たる貫禄で(タレントの渡辺直美を倍にした感じ)、その声量、持久力はすごいと思った。ヴィーナスの池田香織は、1月に『サムソンとデリラ』のデリラで力量に感心した歌手。喉が壊れる、と言われるヴァーグナーを、一幕たっぷり歌いきるのだから、えらいものだ。新国立劇場のオペラでは、主役級はたいてい「ガイジン」なので、「あ、全部日本人がやっているんだ」と気がついて、ちょっと嬉しくなった。ただし指揮者はヴァイグレ。オケは読売日響。
上野駅公園口のキオスクで水を買っていたら、レジの横でコーヒーを淹れている女性の背中にヴァイオリン・ケースが。「あの、すみません。『タンホイザー』ですか?」と聞いたら「え? ええ、はい」とどぎまぎした返事。「よろしくお願いします。」と挨拶した。ヴァイオリンのどこかで、あの姐さんが弾いていたはず。
二期会の『タンホイザー』初演は1966年、とプログラム巻末に出ている。演出:内垣啓一は、駒場のドイツ語教師で、クラス担任だった。「本日講義アリ」と言われるほどの、休講常習犯。ドイツ語の授業は週二回だったが、ほぼ必ず一回は休講だった。『タンホイザー』演出のため、でもないらしい。ヘルマンが大橋国一、とある。聴いてみたかった。学部一年の貧乏学生には、オペラは手の届かない世界だった。(今は学生券がある。)十年後の1976年にやっと二期会二度目の『タンホイザー』を聴いた。非常口の明りを頼りに、原語テキストを見ながら。(当時は日本語字幕はなかった。たぶん。)曽我榮子がエリーザベトを歌っていた。二期会はほぼ10年置きで『タンホイザー』をやっている。つぎの公演に立ち会えるだろうか? (写真は二期会HPより。)