新国立劇場『トスカ』

メーリ(Francesco MELI)のカヴァラドッシ。まるで『トスカ』を初めて観た(聴いた)ような気分だ。一幕の登場シーンがすでに違っている。歌う前から、気品が漂っている。そして「妙なる調和」。最後の「Tosca, sei tu!」では、たっぷりと延ばして歌い切った。拍手は5分間も続いたろうか。(実際は1~2分だったかも。)なにしろコロナ禍のおかげで、オペラは東京だけ。客席は50%に制限。開始時間は19時から17時に繰り上げ。ボクのいた二階席は、1列、3列、5列だけに聴衆がいた。まるで貸し切りでメーリの『トスカ』を聴いているみたい。
元連句仲間の某嬢から、このチケットは絶対ゲットせよ、との情報が入った。インターネットで、しかもシルバー割引で16,000円程度のA席をゲット。じつに安いプラチナチケットだった。(安いチケットは、1980年ごろ神戸で聴いたフィッシャー・ディースカウの『冬の旅』全曲公演10,000円が最初だと思う。)
カヴァラドッシの気品はしかし、あとから考えると、演出の効果もあるかもしれない。これまでの記憶だと、一幕の登場シーンでは普段着で教会に入ってきて、そのまま、あるいは作業着(つまり絵の具がいくら付いてもいいガウン)を着用してキャンバスに向っていた。絵描きだから、『ラ・ボエーム』のマルチェルロのような貧乏ボヘミアンの同類だろう、ぐらいに思っていた。ところが今回のメーリは立派な上着を着て颯爽と登場、堂守の介添えを経て作業着に着替えるのだ。(着替えても気品はあるけどね。) Cavalière(騎士)は辞書を調べても、貴族の称号ではないらしい。原作のSardouによれば、母親はフランス人であってローマ貴族の末裔であるらしい。まあそんなところで充分。
すっきりした、清楚なカヴァラドッシを見て、果たして彼がこのあと襲ってくる残酷、凄惨な場面に耐えられるだろうか、と考えて一瞬、オペラハウスから出たくなってしまった。
タイトルロールのイゾットン(Chiara Isotton)も、まずは申し分なし。声の質が、オケのフルートとか弦と柔らかく調和していて、ああ、なるほど声楽にオーケストラが伴奏するんだなと納得する。欲を言えば、Temperament(激しい気性、わがまま)がもっと欲しい。それが『トスカ』を成立させるのだから。躾のいいお嬢さんではダメなのだ。
同様のことはスカルピア(Dario SOLARI)にも言えそう。もちろんちゃんと歌っていた。けれども見ていて「本人はきっといい人なんだろうな」と思ってしまう。メイク等の問題ではない。悪黨には悪黨の歩き方があるのだ。手の動き、目配り。(ボクは本物を知っている。)このままソラーリが悪黨に遭わずに一生を終えるのが倖せなのか、それとも不幸なのか、何とも言えないが。それでもスカルピアの悪黨ぶりがオペラ『トスカ』の土台を構成するのだから、少なくとも悪黨の練習はしてもらいたい。
2003年の初演(ヴィオッティ指揮、マダウ=ディアツ演出)は見たはず。記憶は定かでないけれども。再演で田口道子のさまざまな工夫があったように思う。それに対しても拍手。