第384回「無量の魂」の巻
よろしければ、上の「無量の魂」(グリーンの文字)をクリックして、PDFをプリント・アウトしてから、コメントをお読み下さい。
4句 国分寺の陋屋の庭には、よく小鳥が来ます。虫がいる、つまり無農薬農法の地であるためです。以和於さんが「人間のことかも」とコメント。つまり、お隣のおしどり夫婦がよそ行きを着ておでかけ、という風にもとれる、というわけ。
11句 むかしの小学校では、そういう当番があった。仙台では燃料が亜炭だった。
14句 前の句はかぐや姫のこと、と恆雄さんが言っていたので。宇宙でニアミスになったかも、という感じ。
23句 阿波踊りの総踊りが廃止とか。ちょっと離れて京都の大文字焼きへ。じっさい数年前の夏に京都駅ビルの高層レストランでひととおり大文字焼きを見たことがある。左大文字が最後だったような。意外に早く燃え尽きるものでした。
29句 ハーディー『テス』から。すでに二ヵ月前にも同工異曲をやっていた。自分の模倣がもっともよくない、と聞いていたので、慚愧。27句あたりから、マラー暗殺のシャルロット・コルデーが話題になっていた。血染めの短剣といったら、ユーディットとか、ルチアとか、トスカとか、いくらでもいるのに。連想力が貧困でした。
34句 ご存知のとおり。男女平等はまだまだお題目にすぎない。知人の娘さんは医師だけれども、二人目の子供はあきらめたという。夜勤があるから。子育て中の女性医師の夜勤の代替措置までケアできる病院がほとんどないらしい。詳しいことは知らないが、法的措置、予算の手当などで解決できるレベルの話ではないだろうか。他方、女性がすべて被害者かというと、ためらわざるをえない実態もある。一部の例かもしれないけれども、女性の道を塞いでいるのは女性である、と言いたくなるときもある。