二期会『サムソンとデリラ』
圧巻は第二幕の「憎しみの二重唱」。大祭司(小森輝彦)とデリラ(池田香織)がノリにノって、交響的伴奏で歌う。下手なロックなんか目じゃない。かなり跳ぶけれども、『ホフマン物語』のミラクル博士の三拍子を思い出した。こういう狂気に瀕した執念の表現が、フランスのオペラは得意なのでは。あと、印象深かったのは第三幕始めのバッカナーレ。指揮のマキシム・パスカルは腰を振りつつ、全身指揮。ここには是非バレーが欲しかった。コンチェルタント形式(演奏会形式)だからバレーはない前提だけれども、こんにち只今、踊りたくってウズウズしているバレリーナはいくらでもいるはず。通路でもいい、前舞台でもいい、バレーを出したらもっとよかった。(新国立劇場のニューイヤー・バレエは中止になった。)
台本のルメールは、ものすごく巧妙。デリダはサムソンの力の秘密(=頭髪)を聞き出すために、あの手この手を使う。どうしてもオルトルート(ローエングリン)を想起してしまう。オルトルートは魔女であり、権力者夫人であり、それが言葉巧みに、エルザに毒を吹き込んでローエングリンの素性を尋ねさせる。ところがデリダには何もない。言葉と女の武器(=涙。これは『ホフマン物語』のジュリエッタの涙を思い出させる)だけで、サムソンを籠絡する。「卑怯者、愛することもできないなんて!」と勇者に投げつける台詞は、絶品だ。
福井敬のサムソンは、もちろん、ジュークボックス型のオーチャードホールに朗々と響き渡った。もう何年前から福井敬を聴いているだろう。その健康管理、鍛錬はおそらく想像を絶するだろう。彼の足があと10㎝長かったら、とっくにメトロポリタンやバイロイトで歌っていたに違いない。同じ短足族として(失礼)共感と連帯の挨拶を送る。
池田香織のデリダ。色気と狡知というむずかしい役を、みごとに歌っていた。慶応法学部卒という経歴で、ここまで主役を歌えるとは。(そういえば福井敬も国立音大出身。18歳で藝大に合格しなくても、その後の精進でどうにでもなるのですね。知人に18歳で東大に合格したからといって一生威張り腐っていたアホがいました。)
特筆すべきは東急文化村・オーチャードホールのスタッフ。会場入口に立ちはだかるように、体温チェック、訪問者カードの確保などの担当者がおり、さらに座席案内など、観客よりスタッフが多いんじゃないか、と思うほどの手厚い体制だった。代議士先生たちがユルふんで会食しているときに、民間ではこのようにきちんと対応していることを、もっと評価してよいのでは。