六本木のオフィスで三枝成彰の講義。

書棚は本でいっぱい(とりわけ高価な美術書)。ヤマハのキーボードを前にして三枝氏は4時間にわたって熱い講義を続けた。(途中で某クリニックをキャンセルしたので、予定を変えるほどのノリだったのかも。)年齢を感じさせないエネルギッシュな講義は、目からウロコの新情報満載で、とてもブログに再現できない。断片的に紹介するほかはない。まずは彼のオペラの総譜から。

上から『忠臣蔵』、『狂おしき真夏の一日』、『Jr. Butterfly』、『神風』。ボクは思わず「パート譜を作るのは大変でしょう」と訊いた。三枝氏:最初の忠臣蔵は手書き譜なので、そうだが、次からはデジタルの楽譜なので、パート譜は自動的に出来てしまう。(なお三枝氏は手書きのまま。助手的な人がパソコンに打込むという。)
ここで失礼して、拙HPの読者にどうしても伝えたい、冷酷な現実がある。訪問前に予習した、三枝氏へのインタビュー記事のなかに、それはあった。
1.演奏家は、「好き」でなった人よりも、親にやらされた人ばかり。
2.ピアノやヴァイオリンの演奏家は18歳で決まる。つまり4歳から始めて14年で、勝負は決まる。
きっとその通りだろうと思う。
著名人インタビュー 三枝成彰さん
(クリック)
ボクのように7歳で紙鍵盤で練習して、9歳のときにやっとローンのピアノが自宅に来た、なんていう子供は、最初から不戦敗だったのだ。
*三枝成彰氏から電話が入った。(この投稿頁を公開したあとです。)訂正してください、とのこと。
上記2について、「ピアノやヴァイオリンの演奏家は24歳で決まる。つまり4歳から始めて20年間、一日8時間の練習を続けて、6万時間。24歳で、勝負は決まる」とのこと。
ひええーっ。そんなこと出来ないよ。三枝氏「そうです。そういう非人間的なことをやらないと、お金の取れるスターにはなれません。」ボク「凡人でよかった。」三枝氏「ええ。凡人が一番幸せです。」まさかこの歳になって凡人として慰められようとは思わなかった。三枝氏「人の三倍やれば、誰でも天才になれます。」うーむ。誰でもなれるわけでもないだろうが。でも三枝氏の場合、無理にでも天才にならなければならなかった。見方にもよるだろうが、むごいような運命だったのかも。
(以下は、最初に公開した投稿頁に戻る。)
脱線。これにはリスクもある。むかしウィーンにヴァイオリンの修行に来た某令嬢は(ま、結局才能がないことが明らかになったのでしょう)、「私の人生を勝手に決めやがって」と母親に皿は投げるは、椅子をひっくり返すは、DVで母親が大変だったとか。
脱線その2。勝者のリスクもある(たぶん)。L君とかI君とか、押しも押されもしないピアニストが「ハッピー・ショパンを弾くのだ」と開き直っている。なにしろショパンのように祖国が分割されたとか下の妹が結核で死んだとか、あれこれの悲哀の体験なしに、標準鍵盤に指が届かないような貧弱な肉体でもなく、元気いっぱいのピアニストになってしまった。可哀想に(?)ハッピー・ショパンしか弾けない運命なのだ。でも、ハッピー・ショパンて何? Oxymoron (撞着語法)ではないだろうか。

閑話休題。三枝氏はオペラ・プロデュースの苦労を話した。『忠臣蔵』上演には四億八千万円かかったが、チケット収入は四千万円。残りはメセナに頼るほかない。氏は毎回、プロデューサーをやり、作曲家その他あらゆる役割を、ひとり十役(?)でこなす。こんな作曲家はおそらく世界に三枝成彰しかいない。彼のけたはずれの活躍ぶりは、書き尽くせるものではないし、ボクもその一端しか知らない。
『忠臣蔵』についてだけ記すと、討入りの場面のチャンバラはプロの殺陣師十数人に演じて貰った。衣装担当の石岡瑛子はアカデミー賞受賞者だったので、彼女の主張のまま衣装は特注となった(貸衣装ではなく)。チョンマゲの鬘(かつら)は場面により三種類必要だったので、鬘だけで三百個以上作製された。赤穂城評定の場面では男声合唱数十人による八重唱になった。江戸市中の場面では舞台中央に池があって、そこに雨を降らせる。そのセットに二千万円かかった。雨のシーンは数秒で終ったのだが。ヒロイン役の出演を断り続ける佐藤しのぶを半年間食事に誘って、やっと口説き落とした、などなど。
なぜ三枝氏のオフィスを訪問して「講義」を聴くことになったのかというと、彼の『大作曲家たちの履歴書』についてボクがAmazonにレビューを書いたから(昨年トップレビュー)。三枝氏とコンタクトのある、畏友Y君(T大学名誉教授、MIT fellow)がこのレビューを三枝氏に見せて、会うことになった。同行したのが京都府のTaekoさん。実はむかしから三枝成彰のファンだった。Heart Cocktail の「サリーの指定席」の楽譜をスキャンして、メール添付で送ってくれた。そのほか膨大な三枝成彰関係の資料も。

三枝氏とTaekoさんのツーショット。三枝氏のoffice にて。
台本の島田雅彦の話など、堂々四時間の講義は多岐にわたった。最後にボクが質問。「無調音楽でも調性音楽でもない、メッセージ性があってまったく新しい音楽に、オリジナリティはどうやって持たせるのですか?」。三枝氏はちょっと沈黙して、「それが分かれば苦労はないんだが」。
ほぼ百年前オーストリアの作家ローベルト・ムシルは「作家とは、もっとも文章を書きにくい種族の人間だ」と書いた。おそらく同様に、作曲家とは、もっとも曲を作りにくい種族の人間だ、と言えるだろう。
創造の現場、切羽にいる芸術家と面談する、希有な機会を設定してくれたY君に感謝する。
*おみやげ。
帰りがけに聴講生三名に紙袋が渡された。そこには「講義」のハンドアウトやパンフレットなどのほかに、『忠臣蔵』全三幕のDVD、最新作『愛の手紙~恋文』と『三枝成彰80歳コンサート』のBDが入っていた。




ボクは中学生のころ、ダーク・ボガート、キャプシーヌ(新人!)主演の映画『わが恋は終りぬ』(Song without End)を観た。(1961年アカデミー賞)ピアノ演奏の吹き替えはアンドレ・ワッツだったと記憶する。

往時は本郷のカフェやレストランの女給と文士との恋愛沙汰が盛んだったらしい。宇野千代は今東光、尾崎士郎、梶井基次郎らと知り合ったという。伊藤初代の「非常」については、つい数年前に『文豪春秋』で知ったばかりだった。この解説に出ていたのには驚いた。
――こんな風に連想を書いていたら切りがない。このへんで。

きっ

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