『蝶々夫人』二期会(宮本亜門・演出)

二期会Twitterより。

二期会Twitterより

もう十数回目の『蝶々夫人』。それでも眼鏡とマスクの裏は、涙と鼻水でぐしょぐしょ。一幕最後の蝶々さんとピンカートンの二重唱は、宇宙を思わせる星空をバックに、指揮者バッティストーニが両腕を全開して「たっぷりと」と指示したとおりの、絶唱でした。サウナに入ったように逆上(のぼ)せて、おかげで風邪も癒ってしまった。
大村博美の蝶々さんはOK. 小原啓楼のピンカートンも声はOK, 動きもまずまずでした。(前回二期会のピンカートンは、歩き方がゾロリとしていて、そば屋の出前のようだった。戦後進駐軍の「アメリカさん」たちを見ているボクには違和感があった。二人、三人で歩いていても歩調が揃い、足はスラリと伸びている。海軍はエリートであり、叩き込まれた規律と気品が歩き方に自然ににじみ出ていた。)
序曲や三幕の前の間奏曲のところで、臨終近いピンカートンと息子が出てくるのは、なるほどと思った。(ここは演出家の腕の見せ所。ただの序曲、間奏曲では聴衆が退屈してしまう。)とはいえ、あきらかに貧困層むきの病室、息子の身なりもリッチには見えないので、ボクの気持ちの整理がつかない。オペラ・ゼミでは「蝶々さんは息子を手放した方がよいか、お金をもらって自分で育てる方がよいか」とディスカッションするのが通例。将来息子がハーバード大学に進学する可能性もあるから、手放すのがよい、というような意見が強かった。この舞台をみると、混血として差別されたり、ピンカートンが傷痍軍人となったりしているらしく、手放してよかったのかどうか釈然としない。(なお怪我のためにピンカートンに生殖能力がなくなったため、ケート夫人が無理にも息子を引き取りたいと願う、という設定であるなら、説得力は増す。)
字幕にも、気遣いが現れていた。蝶々さんが「Siete alte, forte,」(あなたは背が高く、強い)と歌うところは、あいまいにぼかしてある。ボクは「やっぱりね。女性は大きくて強い奴に惚れるんだ、ガイジンは有利だよなあ」とか思ってしまうところ。そういう雑念、脱線を誘う箇所は、上手に剪定してある。あれこれジェンダーとか異文化とかを考えさせず、蝶々さんとピンカートンの愛に収斂するように仕立ててあるようにみえる。(ジェンダー、異文化交流などについては、小川さくえ『オリエンタリズムとジェンダー』法政大学出版局、赤司英一郎「〈蝶々夫人〉のなかの突破のモチーフ」東京学芸大学紀要、に卓見が見られる。 )とはいえ、ヤマドリが陸軍大将のような出で立ちで、旭日旗をしたがえて出てくるところは、「どっちもどっち」と言っているようにしか思えない。つまりは米帝と日帝で、戦時中の慰安婦問題から、戦後の企業戦士のフィリピンやミャンマーでの現地妻の実態まで、連想させずには措かない。
橘玲(たちばな・あきら)は週刊文春で、「50歳時点で一度も結婚したことのない割合は、2015年時点の調査で、女性14.1%に対して男性はほぼ倍の23.4%です。(…)つまり結婚と離婚を繰り返すことで、一部の男が複数の女と結婚しているからです。先進国はどこも法的には一夫一妻制ですが、その実態は〈時間差の一夫多妻制〉なのです」(週刊文春2019年9月5日号)と書いている。時間差だけでなく、地域差の一夫多妻制も成立しそうだ。橘玲式に言えば、遺伝子genを残すためには、「カネのある男」は時をまたぎ、距離をまたいで、せっせと子孫を残すわけだ。橘玲の、なるほどと思わされる他の記事も多数目にしている。(でも、実際はどうだろうか。バッハ一族のように音楽家を多数輩出しているファミリーもあるけれども。クリムトの16人の子供はどうなっているのか。カストロの膨大な子供は何をしているのか。)さて橘玲は、愛という現象をどう説明するのか。無知蒙昧な旧世代の錯覚にすぎないのか。遺伝子一元論にしたがえば、結婚も長期契約売春および育児契約ということになる。第一幕末尾の絶唱も、砂漠のサソリのダンスと同じになってしまう。亜門演出の最後は、死後の蝶々さんとピンカートンが手に手を取って昇天(?)する。これはこれで、現代のあれこれの苦い解釈を飛び越える、救いのある終り方であるように思う。(2019年10月6日、東京文化会館)
追記:なお上記橘玲の記事のテーマは、「大きく黒い犬の問題」である。内閣府の発表によれば「40~64歳のひきこもり状態のひとが全国に61万3000人いる」、その3/4は男性。就職氷河期の産物でもある。財力も権力もない「非モテ」の男性たちは「インセル(Incel)」と呼ばれる(「Involuntary celibate(非自発的禁欲)」の略)。引き取り手のない「大きく黒い犬」は殺処分されるしかない。人間の場合、殺処分される前に、包丁をもって大量殺人に走るケースがあるわけだ。
追記2:『蝶々夫人』を2000回歌った三浦環は、楽屋を訪れたプッチーニに抱擁されたという。その環も、昭和16年の真珠湾攻撃以降、『蝶々夫人』が上演禁止になった(まあ、もっともといえば、もっともである)ため、蝶々さんを歌うことはなかった。(萩谷由貴子著:『蝶々夫人』と日露戦争。必読書である!)

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